委員会情報
委員会審査状況
アジア・アジアパラ競技大会推進特別委員会
( 委 員 会 )
日 時 令和5年8月7日(月) 午後0時58分~
会 場 第7委員会室
出 席 者
松川浩明、谷口知美 正副委員長
鈴木喜博、伊藤辰夫、近藤裕人、藤原ひろき、杉浦哲也、中村貴文、
横田たかし、日比たけまさ、細井真司、岡 明彦、園山康男、下奥奈歩
各委員
安岡 由恵 参考人(公益財団法人日本パラスポーツ協会国際部次長・
ムーブメント推進課長)
スポーツ局長、同顧問、アジア・アジアパラ競技大会推進監、関係課長等
<議 題>
(1)第20回アジア競技大会及び第5回アジアパラ競技大会の準備状況について
(2)2026年のアジアパラ競技大会の開催に向けて
<会議の概要>
1 開 会
2 委員長あいさつ
3 議題1について理事者から説明
4 質 疑
5 議題2について参考人からの意見聴取
6 質 疑
7 閉 会
《議題1関係》
(主な質疑)
【委員】
大会期間を含めて、情報セキュリティーやサイバーテロ対策について、どういった準備を進めているのか。
【理事者】
情報システムは、四つのシステムで構成されている。
大会管理システムは、主に選手や競技エントリー、宿泊、輸送などに関するシステムである。大会結果システムは、競技結果の収集、集約するシステムである。情報配信システムは、競技スケジュールや競技結果についてのシステムである。大会支援システムは、大会の監視などが正常稼働するかというシステムである。この四つのシステムを今後構築していく上で、具体的にそういったことを含めて、アジアオリンピック評議会と協議していく。
【委員】
グローバル企業でも、サイバーテロによって、全てのビジネスがストップしてしまう事態も散見されているので、国際大会における情報セキュリティーやサイバーテロ対策の強化を引き続きお願いする。
【委員】
鳴り物入りで愛知県新体育館が出来上がるが、競技会場としては、柔道とレスリングしか書いておらず、どのような活用を考えているのか伺う。
もう一点、名古屋市のレガシーで、アール・ブリュット作品を活用したという話がある。これは、愛知県のアール・ブリュットが10周年を迎えて次のステージに行くように、福祉局を中心にやると思うが、各局の連携の中で、アール・ブリュットについて、愛知県として何か考えていることはあるのか。
【理事者】
アジア・アジアパラ競技大会で愛知国際アリーナを使用するのはレスリングと柔道が決まっており、それ以外にも日程を調整しながら、どういった競技ができるかについても検討している。アジア・アジアパラ競技大会後は、大会を開催した体育館でスポーツ大会ができることを、より発信できる使い方をしていきたい。
【理事者】
アール・ブリュットについては、アジア・アジアパラ競技大会は、文化プログラムで、文化芸術の発信、また選手との交流を行っていくとされており、そういった内容で活用できるかを検討していきたい。
【委員】
開催都市における大会運営で、各競技会場の最寄り駅から競技会場までの観客輸送や警備計画の検討をしているが、開催する自治体に、予算面も含めて何らかの負担をお願いするのか。
また、ボランティアの関係で、東京オリンピックのように、民間のボランティアの活用については、どのように考えているのか。
【理事者】
基本的にアクセスルートの観客輸送、警備計画については、開催都市で行うことを考えている。
また、市のPRという側面では、市町村にも協力してもらうことになると思う。
ボランティアについては、競技会場内や競技会場外のボランティアが考えられるが、今後、どの程度配置するのか、どういった業務を行っていくかを考えていくが、例えば大会会場までの案内や、観光案内といった場所に配置することを検討している。
【委員】
ボランティアは、愛知県が一括して公募して各開催会場に配置するのか、あるいは開催する自治体で募集するなど、人員を各開催都市で用意する方式にするのか。
【理事者】
ボランティアの募集は、愛知県と名古屋市が一括して募集する予定としており、市町村にボランティアを出してほしいと依頼することはない。
【委員】
アスリートの発掘、育成、強化について、あいちトップアスリートアカデミーで選考したとされているが、この選手たちは愛知県ゆかりの選手であるのか。
【理事者】
あいちトップアスリートアカデミーの1,017人から選んだ選手は、全て愛知県在住である。
【委員】
会場が仮決定され、組織委員会事務総長が決まり、これから順次、中身を詰めていく。国際大会を実際に開いた経験がある予定会場は、それなりの対応ができるが、そうでない会場については、ノウハウが必要で、改めて競技の細かな点で打合せが必要である。それぞれの競技団体との連絡調整や交渉は、現在どの程度まで行われているのか。
【理事者】
競技団体との調整は、大会組織委員会が各競技団体と調整している。
国際大会の経験やノウハウは、大会の1年ほど前にテスト大会を予定しており、本番に向けて練習やテストを行っていく予定であり、そういったところで実践が行われる予定である。
【委員】
愛知県と名古屋市で対応してもらえると思うが、ある団体から、運営について心配だとの声を耳にした。もちろんスポーツ局も深く関与していると思うが、しっかりと組織委員会にも入り込んでもらいたい。
《参考人の意見陳述》
【参考人】
公益財団法人日本パラスポーツ協会、日本パラリンピック委員会の安岡です。
私は、1992年にアジア地域のパラリンピックスポーツの統括組織の事務局でこの世界に入りましたので、アジア地域のパラスポーツの普及、発展という意味でも非常に私を育ててもらった母体として、思い入れのある状況です。
今日は、競技そのものや、アスリートのことはほかの機会でも耳にすることが多いと思いますので、パラリンピックムーブメント全体におけるアジアパラ競技大会の位置づけと、それから、開催地、愛知県や名古屋市にどういったレガシーが残るのかという二つの視点から提言させてもらいます。
まず、私ども、日本パラリンピック委員会として、そして、アジアパラリンピック委員会に所属する加盟団体の一つの選手を送る側の立場として、競技や種目、障害、性別等について、参加の機会を確保する大会にしてもらいたいということが一つです。
それから、開催国日本の代表組織として愛知県や名古屋市の市民の皆様に、レガシーを意識した改革の機会としてこの大会をぜひ活用してもらえないかの2点です。
この内容として、パラリンピック競技大会とアジアパラ競技大会について、そして、パラリンピックムーブメントと共生社会理解はどのようなつながりがあるのか。そして、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版という教材の紹介とともに、この教材を見ていきながら、パラリンピックムーブメントと共生社会の理解を少し深められるような時間を持ち、最後に、この提言に戻りたいと思います。
まず、パラリンピック競技大会とアジアパラ競技大会についてです。
パラリンピック大会を開催している母体は国際パラリンピック委員会といい、IPCと呼んでいます。このIPCには、地域組織が五つあり、今回、大会を開催するアジアパラリンピック委員会もその中の一つという役割になっています。
このIPCが開催するのがパラリンピック競技大会、アジアパラリンピック委員会が開催するのがその地域大会であるアジアパラ競技大会という位置づけになっており、このアジアパラ競技大会を、パラリンピック大会への予選大会として、また記録を競う競技では標準大会を突破するための大会と位置づけています。
ここまでならアジア大会と同じですが、アジアパラ競技大会には独特の位置づけがあります。
アジア地域には、御存じのように、経済的に恵まれていない国や、障害者、女性、その他マイノリティーの人々が、十分な人権保障を得られていない国がたくさんあります。
こういった国から、障害のあるアスリートが活躍して、パラリンピックに出場するとか、メダルを取ったとか、こういった活躍を行うことで、世間の関心がパラスポーツに、その選手に集まります。そうすると、その選手の発言を聞いてくれる人たちが増えます。
その結果、例えばアクセシビリティーに関するその国の法律が変わったり、それから障害者の学習機会、社会参加の機会が増えたり、障害者の雇用が増加したり、少なからず起こってきます。
こういったことは、私がこの業界に入って30年がたちますが、その間に事例を目の当たりにしてきました。
そして、もちろん選手のためにも大事な大会ですが、選手たちが単に参加するだけではなく、選手が所属するパラリンピック委員会や、その選手が所属する地域や国にまで影響が及ぶ大会という意味で、選手の参加の機会を確保するというのが非常に重要な意味を持ってきます。
アジアパラ大会やパラリンピック大会に向けた大会、そして、国際クラス分けを受験する重要な機会であり、選手たちがパラリンピックに向けて準備をするためにも、非常に貴重な機会です。
クラス分けという言葉を知っている委員の方は、あまりいないと思いますが、パラリンピックは、障害のあるアスリートが競技するので、例えば障害の種類や、障害の重さ軽さや、実際に参加する競技の特性などによって、有利不利が出てきます。それを、できるだけ障害による有利不利のないように、公平な状態で競技できるように、選手をグループ分けすることをクラス分けと言います。
そして、障害がどこまで重かったらパラリンピックに出る出場資格とするのか、その障害がパフォーマンスに与える影響がどこまであれば参加できるとするのか、そういうことも決めていかなくてはいけません。
これを各国のコーチが、こういった障害があるからこのクラスと決めるのではなく、それぞれの国際組織、例えば陸上競技であればパラ陸上の国際組織や、アーチェリーならアーチェリーの国際組織とか、そういった国際的な統括組織がクラス分けのルールを決めています。そのルールに基づいたクラス分けができる国際クラシファイアと呼ばれる役員を養成して、その人がクラス分けして、クラスをもった選手でないと国際大会に出られない決まりがあります。
アジアパラ大会で、クラス分けの機会を非常に多く提供していますが、もしクラスをもらえなかったら、世界選手権やパラリンピックにも出場できませんし、予選大会に出た年でも記録の公認ができなかったりします。
そのため、ただ単に選手が参加することだけではなく、その前にある国際クラス分けを受けるためにも、このアジアパラ大会は非常に重要な意味を持っており、この先、国際大会で活躍していける選手になれるかどうか、その登竜門的な役割を持っているのが、このアジアパラ競技大会であり、アジア大会とは異なった意味合いを持つことを理解してもらえればと思います。
次に、主にこの地元、開催地に対して大きなレガシーになると考えられる共生社会の実現に向けた理解の促進について少し話をします。
国際パラリンピック委員会にはビジョンがあり、パラスポーツを通してインクルーシブな世界をつくっていくこととされています。
このインクルーシブな社会とは一体どういう社会なのかですが、インクルーシブは、日本語の中に観念として今までなかった言葉なので、理解が少し難しいかもしれませんが、反対語、エクスクルーシブという言葉を考えてもらうと分かりやすいと思います。
エクスクルーシブというのは、のけものにするとか、除外するという意味です。その反対語がインクルーシブです。つまり、のけものにしないとか、排除される人をつくらない、今SDGsでは、誰も取り残さない社会といっていますが、まさしくそういう世界のことをインクルーシブな世界と言い、日本では共生社会という言葉で表されることもあります。
東京2020大会のときに、多様性と調和がスローガンの一つにありましたが、東京大会が終わって、多様性のある社会というのは実現したのかという問いをいろいろな場で目にします。
IPCのダイバーシティー&インクルージョンポリシーという、多様性とインクルージョンに関する方針が規則の中に含まれていますが、この中でIPCは、 Diversity is a reality,Inclusion is a choice、つまり、多様性というのは現実で、インクルージョンというのは選択だと言っています。
先ほど、東京2020大会を経て、多様性のある社会は実現したのかということを議論されると言いました。多様性ある社会が実現するのではなく、多様性というのは、そもそもこの世界の中に現実としてあり、その中で、様々な人たちが活躍できる社会、その人らしく生きていける社会とするかは、我々の選択であるということをIPCは規則に書いています。
大会をきっかけにして、残念ながら無観客でしたが、テレビで大会のことを見た人もいると思います。それから大会をきっかけにいろいろな場で、パラスポーツのことを知る機会が増えました。
また、子供たちが中心になってきますが、パラスポーツを体験してもらうためのイベントや、パラアスリートと実際に交流をする機会なども増えてきました。委員の中には、選手と近しくしている人もいるかもしれないです。
こういった経験を通して、非常に多くのポジティブなコメントをもらっています。
例えば、大会を見た人からは、パラリンピアンはとてもかっこよかったとか、障害があるのにあんなことができるなんてすごいとか、とにかく感動しましたとか、選手たちが明るくてびっくりしましたという、そういう言葉です。そして、パラスポーツを通して共生社会の理解ができたと言ってもらえることも少なからずあります。
ただ、私たちは、この流れに少し危機感を持っています。これらのこととパラリンピックを通した共生社会理解はイコールではないと考えるからです。
例えばパラスポーツを知る。競技を見たり、競技のことを知ってもらったり、体験したりして得られた感動や発見というのは、パラスポーツへの理解を進めてもらえたということです。
パラアスリートと交流して、この人はすごいという感動を持ってもらえたのは、パラアスリートへの理解が進んだということです。
これは、必ずしも共生社会理解の入り口やヒントと、全く関係ないわけではないと思うのですが、イコールではないのではないか。そしてここで、共生社会を理解したと思ってもらうことが、逆に、共生社会理解を妨げているようなことになってはいないかというのが、私どもが感じている現状の危機感です。
この話を進める前に、障害の社会モデルについて、説明したいと思います。
まず20世紀までは、障害の医学モデルという考え方が中心になっていました。
これは、できないことがあるのは、障害があるからだ。障害のせいでできないことがある。そのため、障害というのは、障害のあるその個人の中にある個人的な問題であって、これを解決するためにできることは、例えば、治療する、周りの人のサポートでリハビリを頑張るといったことになり、この考え方の中では障害のある人たちは障害を克服することが求められます。
ただ、例えば足を切断した人が、どれだけ頑張っても、足は生えてこない。つまりこれは、本人の努力では解決できない問題です。これに対し、これまでは障害があるから仕方がないという言い方をしていたと思います。私もこういった教育を受けてきましたし、この価値観に基づいて大きくなりました。今こうやって話をしていますが、自分の日常生活の振る舞いや言動の中で、しまったと思うことはたくさんあります。
しかし、21世紀に入ってから、障害の社会モデルという考え方に、世界的に切り替わっています。
障害があるから仕方がないことがあるのは、いろいろな人が世の中にいることを前提にしてできていない社会の環境のせいだという考え方です。そのため、障害のある人にできないことがあるという、その障壁をつくっているのは社会の環境によるもので、これを解決するためには、いろいろな人に対応できるように社会をつくればいいのではないか。考え方や環境を変えることで、できることは増えていくという考え方です。
最初から障壁を生まない社会づくりをしていれば、解決が可能な問題だということが、最近考えられている障害の社会モデルで、私たちはこの考え方をパラスポーツを用い、皆さんに伝えていくことを使命としています。
それでは具体的にどのようにつながっているのかを見ていきたいと思います。
下肢障害、車椅子を使っている人や義足を使っている人、視覚障害の人、非常に重度な、自分自身で動くことが難しいような障害を持っている人など、いろいろな人がパラリンピックに参加していますが、パラスポーツでは、そもそも、多様な特性を受け入れて、それぞれの人たちがその可能性を発揮できるようにするにはどうしたらいいのかを考える土壌が根づいています。この考え方を伝えていきたいと思います。
また、できないという思い込みを減らして、できることを増やしていくために様々な工夫や発想の転換をすることを伝えることもできます。
例えば、水泳の背泳ぎのスタートを知っていますか。両手でグリップを握って、爪先を壁につけてスタートします。これは規則で決まっています。
では、片手に障害があって片手でしか握れない人はどうするのか。両手ともに障害があったらどうするのか。脳性麻痺などの障がいで体が自分でコントロールできない、つかまっていることができない人は、オリンピックの規則だと失格です。ただし、パラリンピックの場合は、「背泳ぎはあなたの障害では参加できない」とはなりません。
これはI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版の中の授業で使用されている例なのですが、パラリンピックでは、例えば片手しか使えなかったら、片手で握ってスタートしてくださいというルールがあります。両手が使えなかったら、コーチがプールサイドからタオルの片端を持って、選手は口でそのタオルをくわえてスタートします。
自分で体のコントロールができない選手は、コーチが足を持って、壁にくっつけて、それでスタートすることが認められています。
タオルの代わりに、伸縮性のあるゴムのようなものを使って、推進力を使ってスタートしたり、コーチが足を持って押し出したりすることは認められていません。不利な条件を補うための工夫は認められていますが、それ以上に有利になることはしてはいけないことになっています。
こういった考え方を日常生活の中にうまく適用させていくことで、共生社会をつくっていくためのヒントを得ることができると考えています。
もう一つは、両腕のない卓球選手です。
この前の東京の大会で、私が参加したパラリンピックは10回目でしたが、毎回、自分のそれまでの想像力のなさが恥ずかしくなるような選手が出てきます。エジプトの選手で、口でラケットをくわえて、足でトスを上げて卓球する選手がいます。このやり方を認めるために規則を変えるということをパラスポーツでは行います。
両手がなかったら、卓球はできない、アーチェリーもできない、足がないから走れないという、そういった当たり前を疑って、新しい価値観を創造する。そういう力がパラリンピックの中にはあります。
想像とは、イマジネーションとクリエーションのことです。今できないことに対して解決策を考えていく。そのヒントがたくさんあると考えています。
パラスポーツと共生社会をつなげるためには、ただ見て感動したというのもいいですが、そこで終わったらもったいない。一歩進んで、そのパラスポーツを通じて、共生社会の実現に役立つ工夫の仕方や、考え方ということを学んでもらうことで、自分の行動を変えていく人を増やすことが、何より大事なことであると考えています。
とはいえ、人間が一番難しいのは、自分の価値観や考え方を変えることだとよく言われます。
私も、思い当たることがたくさんありますが、まだその価値観がつくられる前、もしくは価値観をつくっている最中の若い世代に対して、教育の場でこの考え方を伝えていくことができないかという視点で作られたのが、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版という教材です。
国際パラリンピック委員会が国際版を作ったのですが、その国際版を基に、日本の教育現場の先生の声を聞きながら使いやすいように、そして、日本独自の課題などもありますので、そこをうまく組み込んで作ったもので、私ども日本パラリンピック委員会と、日本財団パラスポーツサポートセンターの共働で、ベネッセこども基金に教材を実際に作る手伝いをしてもらいながら開発しました。
I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)というネーミングが非常に象徴的です。
ロシアのソチで行われた2014年の冬のパラリンピックの閉会式では、上から、IMPOSSIBLE(インポッシブル)という言葉がおりてきました。そこに車椅子の選手が出てきて、ロープに腕だけで登ってIとMの間に、アポストロフィーを押し出すと、IMPOSSIBLE(インポッシブル)がI’MPOSSIBLE(アイムポッシブル)に変わるという演出がありました。
できないと思い込んでいたことは、少し工夫したり発想を変えたりすることで、できるに変えることができるというメッセージと、諦めないで、どうすればできるようになるかを考える習慣をつけてほしいという思いの中でできた教材です。
このアポストロフィーの意味を考えましょう。そしてこのアポストロフィーにあなたがなりましょう、私たちがなりましょうという意味です。
この教材は、小学生版と中学高校生版と二種類あり、それぞれ14ユニット、14回授業ができるようになっています。全部やる必要はなく、どのユニットから始めても、1つだけ使っても組み合わせて使っても大丈夫なようになっています。
教室で行う座学のほかに、実際にパラスポーツを学校で体験できるような実技の授業もあり、特別なパラスポーツの競技用具がなくても、学校にあるもので体験ができるように、準備のための動画なども併せて作りました。
今日、例えば、パラリンピック教育をやってみようと思った先生が、明後日に授業ができることを目標にして作っています。
現場の先生は本当に忙しく、教材研究に割ける時間は限られています。そのため、改めて先生がいろいろなことを調べなくてもいいように、必要なものを全部パッケージにしています。
指導案はもちろんですが、投影などして使うことができるスライドは、プリントアウトをすると、紙芝居のようにも使えます。また、実際に子供たちが書き込んで使うことができるワークシートや、準備のための映像、実際に子供たちに見てもらいながら授業を進めるための資料映像など、先生がこれ以上準備するものはないように準備をしました。
もう一つの課題として挙げられていたのが、障害理解やパラリンピックという言葉です。これを題材に授業を行ってみたいという気持ちはあるが、どうやって教えていいのか分からないという先生が非常に多かったです。
特に、障害を扱うのは非常にデリケートで、この教え方が合っているのかどうかが分からないという言葉を多くもらいましたので、先ほどのシート1枚1枚に、子供たちに対する声かけの例や、先生が授業の中で子供たちに紹介できる小ネタをたくさん入れて、先生がこのガイドさえを読んでもらえれば、授業ができるように準備をしました。
教材は全てオンラインでダウンロードができるようになっており、この教師用ガイドを見てもらうと、それぞれの授業でどのようなことを伝えたいのかという授業の流れがわかると思います。
そして、これだけは何とかしたいと思っていたのが、障害のある人が授業の中で話題になるときに、困っている人を助けてあげましょう、障害のある人たちは大変だし、気の毒な人たちだから助けてあげましょう、優しくしてあげましょうという、どうしても思いやりとか親切とかの文脈に流されることが多いということです。
思いやりや親切は本当に大事な考え方ですし、別にそれは障害があってもなくても、子供たちには大事にしてもらいたい価値観ですが、どちらかというと、親切や思いやりでなく、公平や平等とかの視点で障害のある人、人権を考えてほしいと思い、この教材の中の至るところに、障害当事者の気持ちや、いろいろな場面で、自分だったらどうするかを考えられるグループワークを盛り込んでいます。
共生社会をつくっていくことに、皆が納得するような答えはあるはずがないのです。どうやって自分がそれを考えたのかということと、最大公約数的な解とでも言うのか、できるだけ多くの人が納得できるようなソリューションを、その場の状況に応じて考えていくことが大事なのです。さらに、同じ条件の人たちは同じように扱われるべきですが、条件が異なる場合には、不利な状況に最初から置かれる人を補うのは当然のことだと考えるということが教材の根底にあり、いろいろな場面で考えられるように設定をしています。
ではこの中の、東京2020のレガシーについて考えてみようという教材を見て、考えていきたいと思います。
最初は、パラリンピアンのメッセージ動画で始まります。パラリンピアンが出てきて、パラリンピックはスポーツの大会という以上の意味を持つ大会であるとか、障壁を壊していくということは金メダルを取るよりも大事なことだといったメッセージを、その動画の中で選手たちが発します。
これを受けて、パラリンピックが目指すことは何だろうか。これは大会を通じて共生社会をつくっていくことであると子供たちに伝えます。共生社会は平たくいうと、実際の教材の表現と少し違いますが、いろいろな人がそれぞれの能力を発揮して生き生きと、それから選択肢を持って活躍できる世界のことだと説明をした後で、大会のレガシーを考えてみようと持って来て、国立競技場はレガシーの一つと言われていますが、国立競技場の中の工夫を見ていきます。
別の例として、国立競技場の車椅子席は、今までの車椅子席と少し違います。
例えばコンサートホールや、映画館、競技場の車椅子の席を見たことはありますか。多分、車椅子の人がいられるようになっている、何もない席であると思います。
国立競技場の車椅子席は、車椅子用の席と普通の座席が二つずつ交互に並んでいます。そして、一層が全部車椅子であるところもあれば、上にも下にも、ゴールの後ろにも、横から見えるところにも車椅子の席が準備されています。
ここで何が大事かというと、国立競技場に車椅子で来る人、車椅子の人と一緒に来る人は、車椅子使用者を介護する人ではなく、一緒に楽しむ人だと考え方が変わったことです。
今までは車椅子を使っている人と、その人を介助する人しか車椅子席にいられなかったので、友達と一緒に来て1人が車椅子であったら、車椅子の人だけ車椅子席にいるか、その人の介護の役割の人だけがそこにいるか、いずれにしても、その3人はばらばらの席に座らないといけなかったのですが、国立競技場では一緒に競技を楽しむことができるようになっています。
車椅子の人と一緒にいる人は一緒に楽しむ人だと考え方が変わったのが一つの大きな変革です。
そして、例えばサッカーの試合、どこで見たいですか。
下のほうのピッチに近い席で見たい人もいれば、上から俯瞰したい人もいるでしょうし、ゴール後ろで見たい人もいれば、横から見たい人もいるかもしれない。このためにお金を貯めてきたと言って、高い席を買える人もいれば、今日は雰囲気だけ見られればいいと安い席を買いたい人もいるかもしれないのに、車椅子の人は、今まであなた車椅子だからここでと言われた席にしかいられなかった。車椅子の人たちが席を選べるようになったという意味で、国立競技場の車椅子席はイノベーションでした。
例えば、会場に来て競技会場を使う人、それから観戦する人、様々な立場の人の代表者が集まって意見を交換する機会を何回も持ちながら、設計する人だけではなくて、そういう人たちの意見も取り入れながらこの競技場ができた。だから、意見は対立することもあります。視覚障害のある人がブロックを作ってくださいと言えば、車椅子の人たちはブロックがあったら通りにくいということもあるかもしれませんが、そこを話し合いながら、うまくすり合わせていったというプロセスです。
せっかく作ったそういった施設や設備が使い方によっては活用できない。例えば点字ブロックの上に案内用の看板が出ていたら、視覚障害のある人はその上を歩けない。せっかく作ったものが、運用や活用ができているか、そういう視点も大事だということも授業の中では説明をします。
そして、大会のレガシーというのはそういったハードも大事ですが、そのハードをつくるための新しい決め方や考え方、そしてそれに伴って法律や制度が変わっていったことや、皆の考え方も変わっていったことや、こういう授業を受けてもらった子供たち一人一人もみんなレガシーです。
東京2020大会をきっかけに共生社会を目指そうという動きが始まったことが、この大会の何よりのレガシーだとして、この授業は終わります。
このI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)ですが、早ければ今年度中、遅くても、来年度には県や名古屋市の教育委員会をまずは窓口として、子供たちがこの考え方に触れる機会を設けられるように、私どもから働きかけをしていきたいと考えています。
子供が変わると、親が変わります。兄弟も変わります。今日、こんなことを聞いてきたというのを大人たちに話すことで、そこのコミュニティーが変わっていくことが、幾つかの自治体で報告をされていて、パラリンピックの世界の中ではこれをリバース・エデュケーション、逆向きの教育と呼んでいます。本当に大事な考え方になると思います。
それでは、もう一度、最初の提言に戻って考えていきたいと思います。
参加者の位置づけとしては、参加の機会を確保できる大会にしてほしいとお願いしました。
選手個人よりも、アジア地域全体の障害者に対する影響が非常に大きい大会です。ぜひ、選手がトレーニングを積んできたことが120パーセント発揮できるような準備を進めていってもらえるといいと思います。
そして、開催地としては、レガシーを意識した改革の機会として、この大会をぜひ活用したいと思います。それは、パラスポーツを通して共生社会をつくっていくことを確認する大きなチャンスになります。
東京大会は2013年の秋に決まりましたが、そのときに、多様性や共生社会という言葉を知っている人は本当に少なかった。いろいろな場面で、例えばコマーシャルに障害のある選手が出てくるといったのもそれから後の話です。
アクセシビリティーに関しては、もう既に取組が始まっているように聞いています。もちろん、目に見える形に残るアクセシビリティーを向上させるのは、大きなお金のかかることですので、普段からそこに投入するというのは難しいですが、アジア・アジアパラ競技大会があるので、いろいろなことを変えていく大きなチャンスになると思います。
これは、もちろん障害のある人だけではないです。ベビーカーを押しているお母さんや、今からもう10年したら私も高齢者ですが、例えば高齢者になって車椅子を使わなければいけなくなったとき、目が見えなくなったとき、耳が聞こえなくなったときに、住みやすい世の中にできるような種まきを、この大会を通じて、この地域の皆さんのために残していくことが大事であると思います。
もう一つは、共生社会の実現に向けて、いい話を聞きましただけではなく、自分で実際に行動を起こせる人が増えることも大切です。例えば、満員のエレベーターに乗っていて、ドアが開いたら、そこに車椅子を使っている人がいた。どうしますかという問いがI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の中にあります。ほかに選択肢がない人が優先されるべきと考えられる人たちが増えていけば、愛知・名古屋は、いい町になっていくのではないかと思います。こういった人たちを増やしていくためのチャンスになるのではないかと考えています。
私ども、公益財団法人日本パラスポーツ協会、日本パラリンピック委員会は、この大会の署名当事者の一員になっています。皆様と一緒に、いい大会をつくっていけるように、頑張っていきたいと思いますので、御協力を賜れれば幸いです。
《議題2関係》
(主な質疑)
【委員】
私が若い頃は、スポーツをする人だけがスポーツの関係者だという考え方を刷り込まれてきた。現在では、スポーツをする、見る、それからそれを支える、そして、知る、調べるといったことが一つになって、スポーツだという考え方だと理解している。ただし、知る、調べることは、パラスポーツには残念ながら不足していると思っている。
今日、参考人の話を聞いて、小中高校生にこういったことを教育していくことで、今後、スポーツに対する動機づけには大切なことだと思った。
参考人の考えを、学校教育以外でも、広くこれからパラスポーツに携わりたい人、やりたい人に広めていく方法がないか、教えてもらいたい。
【参考人】
今回はI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の説明に終始してしまった。I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)は国際パラリンピック委員会との約束があり、学校で先生が使うという前提のものであり、この教材で学校以外の場所で授業を行うことは難しい。
ただし、例えば講演会や勉強会では、パラスポーツを通じた共生社会理解を広めていくための話をできる人が、私どもの協会や日本パラリンピック委員会の中にも複数いるので、機会があればぜひ声がけしてほしい。
大人に向けて今回のような話をすることも非常に重要である。子供たちの意識が幾ら変わっても、社会に出ていったときに受け入れる社会が今までどおりだったら、そこでまた壁にぶつからなければいけなくなる。今、SDGsやいろいろな場面で多様性がうたわれ、この機会に、そしてアジア・アジアパラ競技大会をきっかけとして、考え方が広まっていけばいいと思う。
私たちだけでその場をつくることは非常に難しいので、もし心当たりがあれば、ぜひ声がけしてもらいたい。
【委員】
自分としては、生のパラ競技を子供たちに見せて、夢と希望を与えたいと思う。本県出身で、車椅子テニスの小田凱人選手が大活躍で、今がいいチャンスだと思っている。なかなか一過性で続かず、世に広げるすべを知らないのが残念だが、こうした明るいニュースを継続的に、次へとつなげていくために、何かいい方法はあるか。
【参考人】
パラリンピックとパラリンピックの期間に話題がないことは、非常に大きな課題である。
学校に協力してもらい、イベントや授業を行ってもらうメリットの一つとしては、例えば小田選手の活躍を見た上で学習ができ、学習する内容も一つではなく、継続した学びにつなげていけるところである。学校では小さな盛り上がりかもしれないが、地道に継続していくことができると思う。
社会の中では、メディアとの協力体制がとても重要になっており、そのときに、小田選手の活躍は、コアにあるべき情報になってくると思うが、ただ単に彼に能力があるからすごいのではなく、小田選手も車椅子を使っており、競技場の外に出たらできないことがたくさんある。
競技場の中と外で違うことは何かという視点でテレビが番組を作ってもらえたら、それは、子供たちだけではない気づきにつながるかもしれない。
それをどのくらいの頻度で行っていくか、どういうコンテンツを作っていくかについては、ある程度の操作というと語弊があるが、協力しながら作っていくことも大事になる可能性があるが、メディアに協力してもらって発信していくことは、人の意識を変える一つの方法である。
【委員】
大会だけでなく、その環境を整えていく上で、生きづらい社会になっているのは感じているので、今日の内容は本当に大事であり、ただスポーツを見てよかったで終わっていけないと改めて思った。
二点教えてほしいが、一つは、説明の最初にあった、アジア・アジアパラ競技大会の位置づけや、地域の課題解決のきっかけを担うところで、アクセシビリティに関する法的整備、障害者雇用の増加や、社会参加の機会確保について、いいことがあったという内容があったが、具体的に例を挙げて教えてもらいたい。また、パラリンピックを行う際に、選手の宿泊の関係についてかなり苦労していると思うが、今回のアジア・アジアパラ競技大会には選手村がないので、こういうことが大事であると教えてもらいたい。
【参考人】
個人的に知っている、ある東南アジア出身の選手の話をしたい。この選手はあるパラリンピック大会でメダルを獲得した。
当時その国では、障害のある人たちへの人権意識が乏しい状況で、しかも仏教国であるので、偏見が入っていたら申し訳ないが、輪廻転生の考え方が強くあり、お布施するのも、来世によい人生が送れるようにといってする。そのため、障害があるのは、あなたは前世で悪いことをした、両親がいい行いをしなかったと受け止められ、その人たちに対するサポートをするのは、自分が来世でそうならないためと考えられていたといろいろな人から聞いた。
当時その選手がメダルを獲得したことで、一気に世の中が変わり、テレビでも多く取り上げてもらえた。日本では、アクセシビリティに関するハートビル法が1990年代にできたが、同様に新しくできる建物のアクセシビリティを決めた法律が、そのメダルを契機として、その国でもできた。
そういった障害のある人が社会を変えることができることが分かったら、今度は、さらに能力のある選手がいるのではないかと選手発掘が始まり、障害のある人に能力があることが、今さらながら社会の中で認められるという流れにつながった。
最近の例では、アフリカのザンビアで、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の教員研修をした。そこで、先生にI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)を、ぜひといって勧める一方で、先ほど言ったように地域の中での障害のある人に対する考え方が変わり、子供たちがまず友達になり、親同士が友達になり、コミュニティの中で障害のある人が受入れられるようになった。私が最初、現地に行ったときには、障害のある人に対しては非常に冷たい雰囲気であったが、次に行ったときには雰囲気が変わっていた。当時は首都のルサカの学校でI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)を始めたが、政府が国内の全ての学校で実施するようにしたため、教育が変わった。政府が動いたという話を聞いて本当にびっくりした。現在も進行形で続いている。
そして、宿泊についてである。パラアスリートの宿泊はそれぞれの障害の状況によるが、例えば、柔道やゴールボールの選手のような視覚障害のある選手であれば、どこに何があるかが分かり、危険がないようにすれば、普通のビジネスホテルでも宿泊できる。
ただし、車椅子使用の選手で重度の障害がある選手は、腹筋も利きかないし、手も利かない、上肢の障害があるという選手が、段差を越えないとお手洗いに入れない部屋に配宿されてしまったら、もう生活ができない。
そのため、東京大会では、組織委員会がお金を出して、ホテルを改修してもらった。ゲストや、メディアにも障害のある人がいるし、競技役員にも障害のある人がいるので、そういった人たちを受け入れるために、部屋を改修した。
お金に関わることなので簡単にはいえず、難しいとは思うが、不利を補うことは当たり前のことだという考え方が、ここで企業にも浸透するとよい。
営利に結びつかないからできないとなると、日本は人権よりも経済効果を優先する国だと評価されてしまうおそれがあったので、一生懸命いろいろなところに、こうして交渉したらどうかと、組織委員会の中で伝えていた。
【委員】
私自身も前回の東京パラリンピックのときに、様々な種目をテレビで見ながら、ここまでチャレンジするのかと思って感動した。地元にもパラリンピックに出場した選手がいたので、その選手と一緒の交流会をしたり、今日説明してもらったパラスポーツの理解が進むとか、アスリートへの理解が進むところまではできていたと思う。
今日の説明で、この先の共生社会とどうつながるか、ここのもう一歩先が非常に重要と改めて痛感させられ、そのために、この地で開催されることがどれだけ大切なのか、今さらながら痛感させられた。
プライベートで台湾に旅行に行った際、子供が1歳だったが、どこに行っても物すごく声をかけられた。1駅だけ地下鉄に乗るだけでも席を譲られるし、空港でもあなた先に行きなさいとか、新幹線で子供が泣き出しても、嫌な顔は一つせずに、皆がお菓子をわざわざくれるなどした。共生社会とはこういうことなのだろうと、今の話をききながら痛感させられた。皆がそう思えるところが、レガシーにつながると思った。
今のI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の日本版で、当然、海外でもやられていると思うし、むしろ先行しているところもたくさんあると思うが、日本版をこの愛知、そしてこれから全国に広げていく中で、先進事例や、このようにやったらいいことがあれば、教えてほしい。
【参考人】
東京2020大会の前に、約3万6,000の全国の小中高等学校と教育委員会に、印刷製本したI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)を配った。水色の雲型の帯の入ったもので、まだ残っている学校もあるかもしれない。
その頃は、とにかく広く普及をさせることを目標にしていたが、東京大会が終わり、現在は愛知・名古屋のように、これから大会を開催する都市や、東京のように、既に大会を開催した都市、共生社会ホストタウンとして活躍、活動していた都市など、重点地域を決めて行っている。札幌市は招致に関係なく、ずっとやるといって、教育委員会が中心になって進めている。
その事例は、私どものホームページにあるが、アスリートの話を聞いて、その話を受けて、公平について考えてみる授業をしたとか、それから観戦に行く予定があったので、パラリンピックとは何かという授業をしてから観戦に行き、帰ってきてから、公平について考えてみようとか、レガシーについて考えようといった授業をして、自分たちの経験と共生社会理解の学びがつながっていくように先生が工夫した例などが掲載されている。
【委員】
1999年にニューヨークのJFK空港に家族と行った。そのとき、老夫婦が車椅子で入ってきた際、日本の社会では考えられないほど全く違う空気であった。空港でバッグが散乱しているところでも、黙ってごく当たり前のように道を開けていたが、日本から考えると、我々の年代の理解が少ないと思った。
幸いなことに私の住んでいる知多郡美浜町には日本福祉大学があり、東京パラリンピックの選手も来て、運動会を一緒に楽しんでもらったり、子供たちの受入れもしっかりしてもらっており、教育面では、私たち親の世代よりも理解は進んでいると思う。
そのため、今回の大会が行われた後、子供たちから変わって親が姿勢を正す大会になるという期待を持っていた。せっかく本県での開催であるので、教育にも取り入れてもらい、パラリンピックの選手に限らず、障害のある人が胸を張ってこの愛知の中で生活していくことができれば、全国に波及していくと思う。そういった取組を県当局も考えているので、大会が終わってからもなお、本県の子供たちのそういった感性を育む取組をしてもらいたいと感じているが、可能であるか。
【理事者】
東京2020大会のときにも、オリパラ教育として、教育委員会が中心になって、先ほどの紹介があったパンフレットなどを使って行っている。
アジア大会・アジアパラ競技大会も、同様に教育委員会や福祉局など、全庁的なところと関わり合ってやっていきたいと思っている。
【委員】
インクルーシブ教育は、最近、盛んに言われている。障害者が、普通の学校へ行きたいという話である。一方で、保護者は学校としては分けたほうがいいという要望も多く、県では、障害者施設特別支援学校も充実しているが、理想的には、参考人が言うようなトータルのものができるとよいと思う。
一つの気づきとして、子供たちが周りに、どんな子がいても仲間だと、社会としてこうやって、みんな仲よくやっていこうという社会ができるように、そのための教材を作成したと思うが、これからは、先ほど名古屋市教育委員会と言っていたが、愛知県としてもやれるような方向としてもらえるとありがたい。
この委員会では、名古屋市だけという感じがしたので、愛知県の教育委員会でも普及に努めてもらいたいと思うが、どうか。
【参考人】
愛知県、名古屋市教育委員会と言ったと思うが、愛知県を抜かしていたら、大変申し訳ない。
ただし、愛知県というととても広くなるし、愛知県の教育委員会の下に、さらに市町村の教育委員会までいかないと、小中学校にはリーチできないと理解している。
ぜひご協力いただき一緒にいろいろな学校に伝えられようにできたらと思う。
インクルーシブ教育には、いろいろな考えがあると思う。ここで言うのは気が引けるが、共生社会は面倒くささを引き受ける社会であると思う。絵に描いた餅というか、理想的ないいことばかりあるのではなく、面倒だし、費用がかかるし、その人たちを排除したほうが楽に進むが、そこを一緒に取り入れて考えるという、私たちと言ったときに障害のある人やLGBTQ+の人が入っていないとか、そういうことがないように考えていけるような教育の体制をつくることができれば、形式はどうだっていい。一緒にいるほうがそういう考え方は進むとは思うし、面倒くささを当たり前に体験させていくことも共生社会への理解であると個人的には思う。
【委員】
インクルーシブ教育では、特別支援学校をつくったほうが手っ取り早いという考え方もあるし、保護者にしてみると、安心はあるかもしれない。
ただ、参考人の今日の話を聞くと、ルールは変えられるので、例えば普通の学校でも、需要があれば工夫して使うとか、お金をかけずしても、現場で工夫すれば使えるという発想も必要であることを教えてもらったので、今後、何かの場で使えればと思う。
【参考人】
身体障害や知的障害が主な対象の子供になってくると思うが、公益財団法人日本パラスポーツ協会の指導者養成講座の中には、初級、中級、上級、スポーツコーチなどいろいろなコースがあり、中級には、学校で体育を教えている先生が対象になる講座がある。
多くの場合、自分の学校に障害のある子供たちがいて、どう体育の授業を動かしていけばいいのかに答えが出せるような内容の講座になっており、必要であればそういう情報も伝えることができると思う。
大会を機に、そういう知識のある先生が増えていくというのも大事であると思う。
【委員】
今の話は、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の教材の中に入っているのか。
【参考人】
今の話は、先生を対象にした資格制度の問題で、教材とはまた別である。
I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の考え方を基にして、学校の中で様々な場面、体育に限らず、様々な場面でそういう工夫をしていくヒントは、先生の中にも残るといいと思う。
( 委 員 会 )
日 時 令和5年8月7日(月) 午後0時58分~
会 場 第7委員会室
出 席 者
松川浩明、谷口知美 正副委員長
鈴木喜博、伊藤辰夫、近藤裕人、藤原ひろき、杉浦哲也、中村貴文、
横田たかし、日比たけまさ、細井真司、岡 明彦、園山康男、下奥奈歩
各委員
安岡 由恵 参考人(公益財団法人日本パラスポーツ協会国際部次長・
ムーブメント推進課長)
スポーツ局長、同顧問、アジア・アジアパラ競技大会推進監、関係課長等
委員会審査風景
<議 題>
(1)第20回アジア競技大会及び第5回アジアパラ競技大会の準備状況について
(2)2026年のアジアパラ競技大会の開催に向けて
<会議の概要>
1 開 会
2 委員長あいさつ
3 議題1について理事者から説明
4 質 疑
5 議題2について参考人からの意見聴取
6 質 疑
7 閉 会
《議題1関係》
(主な質疑)
【委員】
大会期間を含めて、情報セキュリティーやサイバーテロ対策について、どういった準備を進めているのか。
【理事者】
情報システムは、四つのシステムで構成されている。
大会管理システムは、主に選手や競技エントリー、宿泊、輸送などに関するシステムである。大会結果システムは、競技結果の収集、集約するシステムである。情報配信システムは、競技スケジュールや競技結果についてのシステムである。大会支援システムは、大会の監視などが正常稼働するかというシステムである。この四つのシステムを今後構築していく上で、具体的にそういったことを含めて、アジアオリンピック評議会と協議していく。
【委員】
グローバル企業でも、サイバーテロによって、全てのビジネスがストップしてしまう事態も散見されているので、国際大会における情報セキュリティーやサイバーテロ対策の強化を引き続きお願いする。
【委員】
鳴り物入りで愛知県新体育館が出来上がるが、競技会場としては、柔道とレスリングしか書いておらず、どのような活用を考えているのか伺う。
もう一点、名古屋市のレガシーで、アール・ブリュット作品を活用したという話がある。これは、愛知県のアール・ブリュットが10周年を迎えて次のステージに行くように、福祉局を中心にやると思うが、各局の連携の中で、アール・ブリュットについて、愛知県として何か考えていることはあるのか。
【理事者】
アジア・アジアパラ競技大会で愛知国際アリーナを使用するのはレスリングと柔道が決まっており、それ以外にも日程を調整しながら、どういった競技ができるかについても検討している。アジア・アジアパラ競技大会後は、大会を開催した体育館でスポーツ大会ができることを、より発信できる使い方をしていきたい。
【理事者】
アール・ブリュットについては、アジア・アジアパラ競技大会は、文化プログラムで、文化芸術の発信、また選手との交流を行っていくとされており、そういった内容で活用できるかを検討していきたい。
【委員】
開催都市における大会運営で、各競技会場の最寄り駅から競技会場までの観客輸送や警備計画の検討をしているが、開催する自治体に、予算面も含めて何らかの負担をお願いするのか。
また、ボランティアの関係で、東京オリンピックのように、民間のボランティアの活用については、どのように考えているのか。
【理事者】
基本的にアクセスルートの観客輸送、警備計画については、開催都市で行うことを考えている。
また、市のPRという側面では、市町村にも協力してもらうことになると思う。
ボランティアについては、競技会場内や競技会場外のボランティアが考えられるが、今後、どの程度配置するのか、どういった業務を行っていくかを考えていくが、例えば大会会場までの案内や、観光案内といった場所に配置することを検討している。
【委員】
ボランティアは、愛知県が一括して公募して各開催会場に配置するのか、あるいは開催する自治体で募集するなど、人員を各開催都市で用意する方式にするのか。
【理事者】
ボランティアの募集は、愛知県と名古屋市が一括して募集する予定としており、市町村にボランティアを出してほしいと依頼することはない。
【委員】
アスリートの発掘、育成、強化について、あいちトップアスリートアカデミーで選考したとされているが、この選手たちは愛知県ゆかりの選手であるのか。
【理事者】
あいちトップアスリートアカデミーの1,017人から選んだ選手は、全て愛知県在住である。
【委員】
会場が仮決定され、組織委員会事務総長が決まり、これから順次、中身を詰めていく。国際大会を実際に開いた経験がある予定会場は、それなりの対応ができるが、そうでない会場については、ノウハウが必要で、改めて競技の細かな点で打合せが必要である。それぞれの競技団体との連絡調整や交渉は、現在どの程度まで行われているのか。
【理事者】
競技団体との調整は、大会組織委員会が各競技団体と調整している。
国際大会の経験やノウハウは、大会の1年ほど前にテスト大会を予定しており、本番に向けて練習やテストを行っていく予定であり、そういったところで実践が行われる予定である。
【委員】
愛知県と名古屋市で対応してもらえると思うが、ある団体から、運営について心配だとの声を耳にした。もちろんスポーツ局も深く関与していると思うが、しっかりと組織委員会にも入り込んでもらいたい。
《参考人の意見陳述》
【参考人】
公益財団法人日本パラスポーツ協会、日本パラリンピック委員会の安岡です。
私は、1992年にアジア地域のパラリンピックスポーツの統括組織の事務局でこの世界に入りましたので、アジア地域のパラスポーツの普及、発展という意味でも非常に私を育ててもらった母体として、思い入れのある状況です。
今日は、競技そのものや、アスリートのことはほかの機会でも耳にすることが多いと思いますので、パラリンピックムーブメント全体におけるアジアパラ競技大会の位置づけと、それから、開催地、愛知県や名古屋市にどういったレガシーが残るのかという二つの視点から提言させてもらいます。
まず、私ども、日本パラリンピック委員会として、そして、アジアパラリンピック委員会に所属する加盟団体の一つの選手を送る側の立場として、競技や種目、障害、性別等について、参加の機会を確保する大会にしてもらいたいということが一つです。
それから、開催国日本の代表組織として愛知県や名古屋市の市民の皆様に、レガシーを意識した改革の機会としてこの大会をぜひ活用してもらえないかの2点です。
この内容として、パラリンピック競技大会とアジアパラ競技大会について、そして、パラリンピックムーブメントと共生社会理解はどのようなつながりがあるのか。そして、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版という教材の紹介とともに、この教材を見ていきながら、パラリンピックムーブメントと共生社会の理解を少し深められるような時間を持ち、最後に、この提言に戻りたいと思います。
まず、パラリンピック競技大会とアジアパラ競技大会についてです。
パラリンピック大会を開催している母体は国際パラリンピック委員会といい、IPCと呼んでいます。このIPCには、地域組織が五つあり、今回、大会を開催するアジアパラリンピック委員会もその中の一つという役割になっています。
このIPCが開催するのがパラリンピック競技大会、アジアパラリンピック委員会が開催するのがその地域大会であるアジアパラ競技大会という位置づけになっており、このアジアパラ競技大会を、パラリンピック大会への予選大会として、また記録を競う競技では標準大会を突破するための大会と位置づけています。
ここまでならアジア大会と同じですが、アジアパラ競技大会には独特の位置づけがあります。
アジア地域には、御存じのように、経済的に恵まれていない国や、障害者、女性、その他マイノリティーの人々が、十分な人権保障を得られていない国がたくさんあります。
こういった国から、障害のあるアスリートが活躍して、パラリンピックに出場するとか、メダルを取ったとか、こういった活躍を行うことで、世間の関心がパラスポーツに、その選手に集まります。そうすると、その選手の発言を聞いてくれる人たちが増えます。
その結果、例えばアクセシビリティーに関するその国の法律が変わったり、それから障害者の学習機会、社会参加の機会が増えたり、障害者の雇用が増加したり、少なからず起こってきます。
こういったことは、私がこの業界に入って30年がたちますが、その間に事例を目の当たりにしてきました。
そして、もちろん選手のためにも大事な大会ですが、選手たちが単に参加するだけではなく、選手が所属するパラリンピック委員会や、その選手が所属する地域や国にまで影響が及ぶ大会という意味で、選手の参加の機会を確保するというのが非常に重要な意味を持ってきます。
アジアパラ大会やパラリンピック大会に向けた大会、そして、国際クラス分けを受験する重要な機会であり、選手たちがパラリンピックに向けて準備をするためにも、非常に貴重な機会です。
クラス分けという言葉を知っている委員の方は、あまりいないと思いますが、パラリンピックは、障害のあるアスリートが競技するので、例えば障害の種類や、障害の重さ軽さや、実際に参加する競技の特性などによって、有利不利が出てきます。それを、できるだけ障害による有利不利のないように、公平な状態で競技できるように、選手をグループ分けすることをクラス分けと言います。
そして、障害がどこまで重かったらパラリンピックに出る出場資格とするのか、その障害がパフォーマンスに与える影響がどこまであれば参加できるとするのか、そういうことも決めていかなくてはいけません。
これを各国のコーチが、こういった障害があるからこのクラスと決めるのではなく、それぞれの国際組織、例えば陸上競技であればパラ陸上の国際組織や、アーチェリーならアーチェリーの国際組織とか、そういった国際的な統括組織がクラス分けのルールを決めています。そのルールに基づいたクラス分けができる国際クラシファイアと呼ばれる役員を養成して、その人がクラス分けして、クラスをもった選手でないと国際大会に出られない決まりがあります。
アジアパラ大会で、クラス分けの機会を非常に多く提供していますが、もしクラスをもらえなかったら、世界選手権やパラリンピックにも出場できませんし、予選大会に出た年でも記録の公認ができなかったりします。
そのため、ただ単に選手が参加することだけではなく、その前にある国際クラス分けを受けるためにも、このアジアパラ大会は非常に重要な意味を持っており、この先、国際大会で活躍していける選手になれるかどうか、その登竜門的な役割を持っているのが、このアジアパラ競技大会であり、アジア大会とは異なった意味合いを持つことを理解してもらえればと思います。
次に、主にこの地元、開催地に対して大きなレガシーになると考えられる共生社会の実現に向けた理解の促進について少し話をします。
国際パラリンピック委員会にはビジョンがあり、パラスポーツを通してインクルーシブな世界をつくっていくこととされています。
このインクルーシブな社会とは一体どういう社会なのかですが、インクルーシブは、日本語の中に観念として今までなかった言葉なので、理解が少し難しいかもしれませんが、反対語、エクスクルーシブという言葉を考えてもらうと分かりやすいと思います。
エクスクルーシブというのは、のけものにするとか、除外するという意味です。その反対語がインクルーシブです。つまり、のけものにしないとか、排除される人をつくらない、今SDGsでは、誰も取り残さない社会といっていますが、まさしくそういう世界のことをインクルーシブな世界と言い、日本では共生社会という言葉で表されることもあります。
東京2020大会のときに、多様性と調和がスローガンの一つにありましたが、東京大会が終わって、多様性のある社会というのは実現したのかという問いをいろいろな場で目にします。
IPCのダイバーシティー&インクルージョンポリシーという、多様性とインクルージョンに関する方針が規則の中に含まれていますが、この中でIPCは、 Diversity is a reality,Inclusion is a choice、つまり、多様性というのは現実で、インクルージョンというのは選択だと言っています。
先ほど、東京2020大会を経て、多様性のある社会は実現したのかということを議論されると言いました。多様性ある社会が実現するのではなく、多様性というのは、そもそもこの世界の中に現実としてあり、その中で、様々な人たちが活躍できる社会、その人らしく生きていける社会とするかは、我々の選択であるということをIPCは規則に書いています。
大会をきっかけにして、残念ながら無観客でしたが、テレビで大会のことを見た人もいると思います。それから大会をきっかけにいろいろな場で、パラスポーツのことを知る機会が増えました。
また、子供たちが中心になってきますが、パラスポーツを体験してもらうためのイベントや、パラアスリートと実際に交流をする機会なども増えてきました。委員の中には、選手と近しくしている人もいるかもしれないです。
こういった経験を通して、非常に多くのポジティブなコメントをもらっています。
例えば、大会を見た人からは、パラリンピアンはとてもかっこよかったとか、障害があるのにあんなことができるなんてすごいとか、とにかく感動しましたとか、選手たちが明るくてびっくりしましたという、そういう言葉です。そして、パラスポーツを通して共生社会の理解ができたと言ってもらえることも少なからずあります。
ただ、私たちは、この流れに少し危機感を持っています。これらのこととパラリンピックを通した共生社会理解はイコールではないと考えるからです。
例えばパラスポーツを知る。競技を見たり、競技のことを知ってもらったり、体験したりして得られた感動や発見というのは、パラスポーツへの理解を進めてもらえたということです。
パラアスリートと交流して、この人はすごいという感動を持ってもらえたのは、パラアスリートへの理解が進んだということです。
これは、必ずしも共生社会理解の入り口やヒントと、全く関係ないわけではないと思うのですが、イコールではないのではないか。そしてここで、共生社会を理解したと思ってもらうことが、逆に、共生社会理解を妨げているようなことになってはいないかというのが、私どもが感じている現状の危機感です。
この話を進める前に、障害の社会モデルについて、説明したいと思います。
まず20世紀までは、障害の医学モデルという考え方が中心になっていました。
これは、できないことがあるのは、障害があるからだ。障害のせいでできないことがある。そのため、障害というのは、障害のあるその個人の中にある個人的な問題であって、これを解決するためにできることは、例えば、治療する、周りの人のサポートでリハビリを頑張るといったことになり、この考え方の中では障害のある人たちは障害を克服することが求められます。
ただ、例えば足を切断した人が、どれだけ頑張っても、足は生えてこない。つまりこれは、本人の努力では解決できない問題です。これに対し、これまでは障害があるから仕方がないという言い方をしていたと思います。私もこういった教育を受けてきましたし、この価値観に基づいて大きくなりました。今こうやって話をしていますが、自分の日常生活の振る舞いや言動の中で、しまったと思うことはたくさんあります。
しかし、21世紀に入ってから、障害の社会モデルという考え方に、世界的に切り替わっています。
障害があるから仕方がないことがあるのは、いろいろな人が世の中にいることを前提にしてできていない社会の環境のせいだという考え方です。そのため、障害のある人にできないことがあるという、その障壁をつくっているのは社会の環境によるもので、これを解決するためには、いろいろな人に対応できるように社会をつくればいいのではないか。考え方や環境を変えることで、できることは増えていくという考え方です。
最初から障壁を生まない社会づくりをしていれば、解決が可能な問題だということが、最近考えられている障害の社会モデルで、私たちはこの考え方をパラスポーツを用い、皆さんに伝えていくことを使命としています。
それでは具体的にどのようにつながっているのかを見ていきたいと思います。
下肢障害、車椅子を使っている人や義足を使っている人、視覚障害の人、非常に重度な、自分自身で動くことが難しいような障害を持っている人など、いろいろな人がパラリンピックに参加していますが、パラスポーツでは、そもそも、多様な特性を受け入れて、それぞれの人たちがその可能性を発揮できるようにするにはどうしたらいいのかを考える土壌が根づいています。この考え方を伝えていきたいと思います。
また、できないという思い込みを減らして、できることを増やしていくために様々な工夫や発想の転換をすることを伝えることもできます。
例えば、水泳の背泳ぎのスタートを知っていますか。両手でグリップを握って、爪先を壁につけてスタートします。これは規則で決まっています。
では、片手に障害があって片手でしか握れない人はどうするのか。両手ともに障害があったらどうするのか。脳性麻痺などの障がいで体が自分でコントロールできない、つかまっていることができない人は、オリンピックの規則だと失格です。ただし、パラリンピックの場合は、「背泳ぎはあなたの障害では参加できない」とはなりません。
これはI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版の中の授業で使用されている例なのですが、パラリンピックでは、例えば片手しか使えなかったら、片手で握ってスタートしてくださいというルールがあります。両手が使えなかったら、コーチがプールサイドからタオルの片端を持って、選手は口でそのタオルをくわえてスタートします。
自分で体のコントロールができない選手は、コーチが足を持って、壁にくっつけて、それでスタートすることが認められています。
タオルの代わりに、伸縮性のあるゴムのようなものを使って、推進力を使ってスタートしたり、コーチが足を持って押し出したりすることは認められていません。不利な条件を補うための工夫は認められていますが、それ以上に有利になることはしてはいけないことになっています。
こういった考え方を日常生活の中にうまく適用させていくことで、共生社会をつくっていくためのヒントを得ることができると考えています。
もう一つは、両腕のない卓球選手です。
この前の東京の大会で、私が参加したパラリンピックは10回目でしたが、毎回、自分のそれまでの想像力のなさが恥ずかしくなるような選手が出てきます。エジプトの選手で、口でラケットをくわえて、足でトスを上げて卓球する選手がいます。このやり方を認めるために規則を変えるということをパラスポーツでは行います。
両手がなかったら、卓球はできない、アーチェリーもできない、足がないから走れないという、そういった当たり前を疑って、新しい価値観を創造する。そういう力がパラリンピックの中にはあります。
想像とは、イマジネーションとクリエーションのことです。今できないことに対して解決策を考えていく。そのヒントがたくさんあると考えています。
パラスポーツと共生社会をつなげるためには、ただ見て感動したというのもいいですが、そこで終わったらもったいない。一歩進んで、そのパラスポーツを通じて、共生社会の実現に役立つ工夫の仕方や、考え方ということを学んでもらうことで、自分の行動を変えていく人を増やすことが、何より大事なことであると考えています。
とはいえ、人間が一番難しいのは、自分の価値観や考え方を変えることだとよく言われます。
私も、思い当たることがたくさんありますが、まだその価値観がつくられる前、もしくは価値観をつくっている最中の若い世代に対して、教育の場でこの考え方を伝えていくことができないかという視点で作られたのが、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)日本版という教材です。
国際パラリンピック委員会が国際版を作ったのですが、その国際版を基に、日本の教育現場の先生の声を聞きながら使いやすいように、そして、日本独自の課題などもありますので、そこをうまく組み込んで作ったもので、私ども日本パラリンピック委員会と、日本財団パラスポーツサポートセンターの共働で、ベネッセこども基金に教材を実際に作る手伝いをしてもらいながら開発しました。
I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)というネーミングが非常に象徴的です。
ロシアのソチで行われた2014年の冬のパラリンピックの閉会式では、上から、IMPOSSIBLE(インポッシブル)という言葉がおりてきました。そこに車椅子の選手が出てきて、ロープに腕だけで登ってIとMの間に、アポストロフィーを押し出すと、IMPOSSIBLE(インポッシブル)がI’MPOSSIBLE(アイムポッシブル)に変わるという演出がありました。
できないと思い込んでいたことは、少し工夫したり発想を変えたりすることで、できるに変えることができるというメッセージと、諦めないで、どうすればできるようになるかを考える習慣をつけてほしいという思いの中でできた教材です。
このアポストロフィーの意味を考えましょう。そしてこのアポストロフィーにあなたがなりましょう、私たちがなりましょうという意味です。
この教材は、小学生版と中学高校生版と二種類あり、それぞれ14ユニット、14回授業ができるようになっています。全部やる必要はなく、どのユニットから始めても、1つだけ使っても組み合わせて使っても大丈夫なようになっています。
教室で行う座学のほかに、実際にパラスポーツを学校で体験できるような実技の授業もあり、特別なパラスポーツの競技用具がなくても、学校にあるもので体験ができるように、準備のための動画なども併せて作りました。
今日、例えば、パラリンピック教育をやってみようと思った先生が、明後日に授業ができることを目標にして作っています。
現場の先生は本当に忙しく、教材研究に割ける時間は限られています。そのため、改めて先生がいろいろなことを調べなくてもいいように、必要なものを全部パッケージにしています。
指導案はもちろんですが、投影などして使うことができるスライドは、プリントアウトをすると、紙芝居のようにも使えます。また、実際に子供たちが書き込んで使うことができるワークシートや、準備のための映像、実際に子供たちに見てもらいながら授業を進めるための資料映像など、先生がこれ以上準備するものはないように準備をしました。
もう一つの課題として挙げられていたのが、障害理解やパラリンピックという言葉です。これを題材に授業を行ってみたいという気持ちはあるが、どうやって教えていいのか分からないという先生が非常に多かったです。
特に、障害を扱うのは非常にデリケートで、この教え方が合っているのかどうかが分からないという言葉を多くもらいましたので、先ほどのシート1枚1枚に、子供たちに対する声かけの例や、先生が授業の中で子供たちに紹介できる小ネタをたくさん入れて、先生がこのガイドさえを読んでもらえれば、授業ができるように準備をしました。
教材は全てオンラインでダウンロードができるようになっており、この教師用ガイドを見てもらうと、それぞれの授業でどのようなことを伝えたいのかという授業の流れがわかると思います。
そして、これだけは何とかしたいと思っていたのが、障害のある人が授業の中で話題になるときに、困っている人を助けてあげましょう、障害のある人たちは大変だし、気の毒な人たちだから助けてあげましょう、優しくしてあげましょうという、どうしても思いやりとか親切とかの文脈に流されることが多いということです。
思いやりや親切は本当に大事な考え方ですし、別にそれは障害があってもなくても、子供たちには大事にしてもらいたい価値観ですが、どちらかというと、親切や思いやりでなく、公平や平等とかの視点で障害のある人、人権を考えてほしいと思い、この教材の中の至るところに、障害当事者の気持ちや、いろいろな場面で、自分だったらどうするかを考えられるグループワークを盛り込んでいます。
共生社会をつくっていくことに、皆が納得するような答えはあるはずがないのです。どうやって自分がそれを考えたのかということと、最大公約数的な解とでも言うのか、できるだけ多くの人が納得できるようなソリューションを、その場の状況に応じて考えていくことが大事なのです。さらに、同じ条件の人たちは同じように扱われるべきですが、条件が異なる場合には、不利な状況に最初から置かれる人を補うのは当然のことだと考えるということが教材の根底にあり、いろいろな場面で考えられるように設定をしています。
ではこの中の、東京2020のレガシーについて考えてみようという教材を見て、考えていきたいと思います。
最初は、パラリンピアンのメッセージ動画で始まります。パラリンピアンが出てきて、パラリンピックはスポーツの大会という以上の意味を持つ大会であるとか、障壁を壊していくということは金メダルを取るよりも大事なことだといったメッセージを、その動画の中で選手たちが発します。
これを受けて、パラリンピックが目指すことは何だろうか。これは大会を通じて共生社会をつくっていくことであると子供たちに伝えます。共生社会は平たくいうと、実際の教材の表現と少し違いますが、いろいろな人がそれぞれの能力を発揮して生き生きと、それから選択肢を持って活躍できる世界のことだと説明をした後で、大会のレガシーを考えてみようと持って来て、国立競技場はレガシーの一つと言われていますが、国立競技場の中の工夫を見ていきます。
別の例として、国立競技場の車椅子席は、今までの車椅子席と少し違います。
例えばコンサートホールや、映画館、競技場の車椅子の席を見たことはありますか。多分、車椅子の人がいられるようになっている、何もない席であると思います。
国立競技場の車椅子席は、車椅子用の席と普通の座席が二つずつ交互に並んでいます。そして、一層が全部車椅子であるところもあれば、上にも下にも、ゴールの後ろにも、横から見えるところにも車椅子の席が準備されています。
ここで何が大事かというと、国立競技場に車椅子で来る人、車椅子の人と一緒に来る人は、車椅子使用者を介護する人ではなく、一緒に楽しむ人だと考え方が変わったことです。
今までは車椅子を使っている人と、その人を介助する人しか車椅子席にいられなかったので、友達と一緒に来て1人が車椅子であったら、車椅子の人だけ車椅子席にいるか、その人の介護の役割の人だけがそこにいるか、いずれにしても、その3人はばらばらの席に座らないといけなかったのですが、国立競技場では一緒に競技を楽しむことができるようになっています。
車椅子の人と一緒にいる人は一緒に楽しむ人だと考え方が変わったのが一つの大きな変革です。
そして、例えばサッカーの試合、どこで見たいですか。
下のほうのピッチに近い席で見たい人もいれば、上から俯瞰したい人もいるでしょうし、ゴール後ろで見たい人もいれば、横から見たい人もいるかもしれない。このためにお金を貯めてきたと言って、高い席を買える人もいれば、今日は雰囲気だけ見られればいいと安い席を買いたい人もいるかもしれないのに、車椅子の人は、今まであなた車椅子だからここでと言われた席にしかいられなかった。車椅子の人たちが席を選べるようになったという意味で、国立競技場の車椅子席はイノベーションでした。
例えば、会場に来て競技会場を使う人、それから観戦する人、様々な立場の人の代表者が集まって意見を交換する機会を何回も持ちながら、設計する人だけではなくて、そういう人たちの意見も取り入れながらこの競技場ができた。だから、意見は対立することもあります。視覚障害のある人がブロックを作ってくださいと言えば、車椅子の人たちはブロックがあったら通りにくいということもあるかもしれませんが、そこを話し合いながら、うまくすり合わせていったというプロセスです。
せっかく作ったそういった施設や設備が使い方によっては活用できない。例えば点字ブロックの上に案内用の看板が出ていたら、視覚障害のある人はその上を歩けない。せっかく作ったものが、運用や活用ができているか、そういう視点も大事だということも授業の中では説明をします。
そして、大会のレガシーというのはそういったハードも大事ですが、そのハードをつくるための新しい決め方や考え方、そしてそれに伴って法律や制度が変わっていったことや、皆の考え方も変わっていったことや、こういう授業を受けてもらった子供たち一人一人もみんなレガシーです。
東京2020大会をきっかけに共生社会を目指そうという動きが始まったことが、この大会の何よりのレガシーだとして、この授業は終わります。
このI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)ですが、早ければ今年度中、遅くても、来年度には県や名古屋市の教育委員会をまずは窓口として、子供たちがこの考え方に触れる機会を設けられるように、私どもから働きかけをしていきたいと考えています。
子供が変わると、親が変わります。兄弟も変わります。今日、こんなことを聞いてきたというのを大人たちに話すことで、そこのコミュニティーが変わっていくことが、幾つかの自治体で報告をされていて、パラリンピックの世界の中ではこれをリバース・エデュケーション、逆向きの教育と呼んでいます。本当に大事な考え方になると思います。
それでは、もう一度、最初の提言に戻って考えていきたいと思います。
参加者の位置づけとしては、参加の機会を確保できる大会にしてほしいとお願いしました。
選手個人よりも、アジア地域全体の障害者に対する影響が非常に大きい大会です。ぜひ、選手がトレーニングを積んできたことが120パーセント発揮できるような準備を進めていってもらえるといいと思います。
そして、開催地としては、レガシーを意識した改革の機会として、この大会をぜひ活用したいと思います。それは、パラスポーツを通して共生社会をつくっていくことを確認する大きなチャンスになります。
東京大会は2013年の秋に決まりましたが、そのときに、多様性や共生社会という言葉を知っている人は本当に少なかった。いろいろな場面で、例えばコマーシャルに障害のある選手が出てくるといったのもそれから後の話です。
アクセシビリティーに関しては、もう既に取組が始まっているように聞いています。もちろん、目に見える形に残るアクセシビリティーを向上させるのは、大きなお金のかかることですので、普段からそこに投入するというのは難しいですが、アジア・アジアパラ競技大会があるので、いろいろなことを変えていく大きなチャンスになると思います。
これは、もちろん障害のある人だけではないです。ベビーカーを押しているお母さんや、今からもう10年したら私も高齢者ですが、例えば高齢者になって車椅子を使わなければいけなくなったとき、目が見えなくなったとき、耳が聞こえなくなったときに、住みやすい世の中にできるような種まきを、この大会を通じて、この地域の皆さんのために残していくことが大事であると思います。
もう一つは、共生社会の実現に向けて、いい話を聞きましただけではなく、自分で実際に行動を起こせる人が増えることも大切です。例えば、満員のエレベーターに乗っていて、ドアが開いたら、そこに車椅子を使っている人がいた。どうしますかという問いがI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の中にあります。ほかに選択肢がない人が優先されるべきと考えられる人たちが増えていけば、愛知・名古屋は、いい町になっていくのではないかと思います。こういった人たちを増やしていくためのチャンスになるのではないかと考えています。
私ども、公益財団法人日本パラスポーツ協会、日本パラリンピック委員会は、この大会の署名当事者の一員になっています。皆様と一緒に、いい大会をつくっていけるように、頑張っていきたいと思いますので、御協力を賜れれば幸いです。
《議題2関係》
(主な質疑)
【委員】
私が若い頃は、スポーツをする人だけがスポーツの関係者だという考え方を刷り込まれてきた。現在では、スポーツをする、見る、それからそれを支える、そして、知る、調べるといったことが一つになって、スポーツだという考え方だと理解している。ただし、知る、調べることは、パラスポーツには残念ながら不足していると思っている。
今日、参考人の話を聞いて、小中高校生にこういったことを教育していくことで、今後、スポーツに対する動機づけには大切なことだと思った。
参考人の考えを、学校教育以外でも、広くこれからパラスポーツに携わりたい人、やりたい人に広めていく方法がないか、教えてもらいたい。
【参考人】
今回はI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の説明に終始してしまった。I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)は国際パラリンピック委員会との約束があり、学校で先生が使うという前提のものであり、この教材で学校以外の場所で授業を行うことは難しい。
ただし、例えば講演会や勉強会では、パラスポーツを通じた共生社会理解を広めていくための話をできる人が、私どもの協会や日本パラリンピック委員会の中にも複数いるので、機会があればぜひ声がけしてほしい。
大人に向けて今回のような話をすることも非常に重要である。子供たちの意識が幾ら変わっても、社会に出ていったときに受け入れる社会が今までどおりだったら、そこでまた壁にぶつからなければいけなくなる。今、SDGsやいろいろな場面で多様性がうたわれ、この機会に、そしてアジア・アジアパラ競技大会をきっかけとして、考え方が広まっていけばいいと思う。
私たちだけでその場をつくることは非常に難しいので、もし心当たりがあれば、ぜひ声がけしてもらいたい。
【委員】
自分としては、生のパラ競技を子供たちに見せて、夢と希望を与えたいと思う。本県出身で、車椅子テニスの小田凱人選手が大活躍で、今がいいチャンスだと思っている。なかなか一過性で続かず、世に広げるすべを知らないのが残念だが、こうした明るいニュースを継続的に、次へとつなげていくために、何かいい方法はあるか。
【参考人】
パラリンピックとパラリンピックの期間に話題がないことは、非常に大きな課題である。
学校に協力してもらい、イベントや授業を行ってもらうメリットの一つとしては、例えば小田選手の活躍を見た上で学習ができ、学習する内容も一つではなく、継続した学びにつなげていけるところである。学校では小さな盛り上がりかもしれないが、地道に継続していくことができると思う。
社会の中では、メディアとの協力体制がとても重要になっており、そのときに、小田選手の活躍は、コアにあるべき情報になってくると思うが、ただ単に彼に能力があるからすごいのではなく、小田選手も車椅子を使っており、競技場の外に出たらできないことがたくさんある。
競技場の中と外で違うことは何かという視点でテレビが番組を作ってもらえたら、それは、子供たちだけではない気づきにつながるかもしれない。
それをどのくらいの頻度で行っていくか、どういうコンテンツを作っていくかについては、ある程度の操作というと語弊があるが、協力しながら作っていくことも大事になる可能性があるが、メディアに協力してもらって発信していくことは、人の意識を変える一つの方法である。
【委員】
大会だけでなく、その環境を整えていく上で、生きづらい社会になっているのは感じているので、今日の内容は本当に大事であり、ただスポーツを見てよかったで終わっていけないと改めて思った。
二点教えてほしいが、一つは、説明の最初にあった、アジア・アジアパラ競技大会の位置づけや、地域の課題解決のきっかけを担うところで、アクセシビリティに関する法的整備、障害者雇用の増加や、社会参加の機会確保について、いいことがあったという内容があったが、具体的に例を挙げて教えてもらいたい。また、パラリンピックを行う際に、選手の宿泊の関係についてかなり苦労していると思うが、今回のアジア・アジアパラ競技大会には選手村がないので、こういうことが大事であると教えてもらいたい。
【参考人】
個人的に知っている、ある東南アジア出身の選手の話をしたい。この選手はあるパラリンピック大会でメダルを獲得した。
当時その国では、障害のある人たちへの人権意識が乏しい状況で、しかも仏教国であるので、偏見が入っていたら申し訳ないが、輪廻転生の考え方が強くあり、お布施するのも、来世によい人生が送れるようにといってする。そのため、障害があるのは、あなたは前世で悪いことをした、両親がいい行いをしなかったと受け止められ、その人たちに対するサポートをするのは、自分が来世でそうならないためと考えられていたといろいろな人から聞いた。
当時その選手がメダルを獲得したことで、一気に世の中が変わり、テレビでも多く取り上げてもらえた。日本では、アクセシビリティに関するハートビル法が1990年代にできたが、同様に新しくできる建物のアクセシビリティを決めた法律が、そのメダルを契機として、その国でもできた。
そういった障害のある人が社会を変えることができることが分かったら、今度は、さらに能力のある選手がいるのではないかと選手発掘が始まり、障害のある人に能力があることが、今さらながら社会の中で認められるという流れにつながった。
最近の例では、アフリカのザンビアで、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の教員研修をした。そこで、先生にI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)を、ぜひといって勧める一方で、先ほど言ったように地域の中での障害のある人に対する考え方が変わり、子供たちがまず友達になり、親同士が友達になり、コミュニティの中で障害のある人が受入れられるようになった。私が最初、現地に行ったときには、障害のある人に対しては非常に冷たい雰囲気であったが、次に行ったときには雰囲気が変わっていた。当時は首都のルサカの学校でI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)を始めたが、政府が国内の全ての学校で実施するようにしたため、教育が変わった。政府が動いたという話を聞いて本当にびっくりした。現在も進行形で続いている。
そして、宿泊についてである。パラアスリートの宿泊はそれぞれの障害の状況によるが、例えば、柔道やゴールボールの選手のような視覚障害のある選手であれば、どこに何があるかが分かり、危険がないようにすれば、普通のビジネスホテルでも宿泊できる。
ただし、車椅子使用の選手で重度の障害がある選手は、腹筋も利きかないし、手も利かない、上肢の障害があるという選手が、段差を越えないとお手洗いに入れない部屋に配宿されてしまったら、もう生活ができない。
そのため、東京大会では、組織委員会がお金を出して、ホテルを改修してもらった。ゲストや、メディアにも障害のある人がいるし、競技役員にも障害のある人がいるので、そういった人たちを受け入れるために、部屋を改修した。
お金に関わることなので簡単にはいえず、難しいとは思うが、不利を補うことは当たり前のことだという考え方が、ここで企業にも浸透するとよい。
営利に結びつかないからできないとなると、日本は人権よりも経済効果を優先する国だと評価されてしまうおそれがあったので、一生懸命いろいろなところに、こうして交渉したらどうかと、組織委員会の中で伝えていた。
【委員】
私自身も前回の東京パラリンピックのときに、様々な種目をテレビで見ながら、ここまでチャレンジするのかと思って感動した。地元にもパラリンピックに出場した選手がいたので、その選手と一緒の交流会をしたり、今日説明してもらったパラスポーツの理解が進むとか、アスリートへの理解が進むところまではできていたと思う。
今日の説明で、この先の共生社会とどうつながるか、ここのもう一歩先が非常に重要と改めて痛感させられ、そのために、この地で開催されることがどれだけ大切なのか、今さらながら痛感させられた。
プライベートで台湾に旅行に行った際、子供が1歳だったが、どこに行っても物すごく声をかけられた。1駅だけ地下鉄に乗るだけでも席を譲られるし、空港でもあなた先に行きなさいとか、新幹線で子供が泣き出しても、嫌な顔は一つせずに、皆がお菓子をわざわざくれるなどした。共生社会とはこういうことなのだろうと、今の話をききながら痛感させられた。皆がそう思えるところが、レガシーにつながると思った。
今のI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の日本版で、当然、海外でもやられていると思うし、むしろ先行しているところもたくさんあると思うが、日本版をこの愛知、そしてこれから全国に広げていく中で、先進事例や、このようにやったらいいことがあれば、教えてほしい。
【参考人】
東京2020大会の前に、約3万6,000の全国の小中高等学校と教育委員会に、印刷製本したI’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)を配った。水色の雲型の帯の入ったもので、まだ残っている学校もあるかもしれない。
その頃は、とにかく広く普及をさせることを目標にしていたが、東京大会が終わり、現在は愛知・名古屋のように、これから大会を開催する都市や、東京のように、既に大会を開催した都市、共生社会ホストタウンとして活躍、活動していた都市など、重点地域を決めて行っている。札幌市は招致に関係なく、ずっとやるといって、教育委員会が中心になって進めている。
その事例は、私どものホームページにあるが、アスリートの話を聞いて、その話を受けて、公平について考えてみる授業をしたとか、それから観戦に行く予定があったので、パラリンピックとは何かという授業をしてから観戦に行き、帰ってきてから、公平について考えてみようとか、レガシーについて考えようといった授業をして、自分たちの経験と共生社会理解の学びがつながっていくように先生が工夫した例などが掲載されている。
【委員】
1999年にニューヨークのJFK空港に家族と行った。そのとき、老夫婦が車椅子で入ってきた際、日本の社会では考えられないほど全く違う空気であった。空港でバッグが散乱しているところでも、黙ってごく当たり前のように道を開けていたが、日本から考えると、我々の年代の理解が少ないと思った。
幸いなことに私の住んでいる知多郡美浜町には日本福祉大学があり、東京パラリンピックの選手も来て、運動会を一緒に楽しんでもらったり、子供たちの受入れもしっかりしてもらっており、教育面では、私たち親の世代よりも理解は進んでいると思う。
そのため、今回の大会が行われた後、子供たちから変わって親が姿勢を正す大会になるという期待を持っていた。せっかく本県での開催であるので、教育にも取り入れてもらい、パラリンピックの選手に限らず、障害のある人が胸を張ってこの愛知の中で生活していくことができれば、全国に波及していくと思う。そういった取組を県当局も考えているので、大会が終わってからもなお、本県の子供たちのそういった感性を育む取組をしてもらいたいと感じているが、可能であるか。
【理事者】
東京2020大会のときにも、オリパラ教育として、教育委員会が中心になって、先ほどの紹介があったパンフレットなどを使って行っている。
アジア大会・アジアパラ競技大会も、同様に教育委員会や福祉局など、全庁的なところと関わり合ってやっていきたいと思っている。
【委員】
インクルーシブ教育は、最近、盛んに言われている。障害者が、普通の学校へ行きたいという話である。一方で、保護者は学校としては分けたほうがいいという要望も多く、県では、障害者施設特別支援学校も充実しているが、理想的には、参考人が言うようなトータルのものができるとよいと思う。
一つの気づきとして、子供たちが周りに、どんな子がいても仲間だと、社会としてこうやって、みんな仲よくやっていこうという社会ができるように、そのための教材を作成したと思うが、これからは、先ほど名古屋市教育委員会と言っていたが、愛知県としてもやれるような方向としてもらえるとありがたい。
この委員会では、名古屋市だけという感じがしたので、愛知県の教育委員会でも普及に努めてもらいたいと思うが、どうか。
【参考人】
愛知県、名古屋市教育委員会と言ったと思うが、愛知県を抜かしていたら、大変申し訳ない。
ただし、愛知県というととても広くなるし、愛知県の教育委員会の下に、さらに市町村の教育委員会までいかないと、小中学校にはリーチできないと理解している。
ぜひご協力いただき一緒にいろいろな学校に伝えられようにできたらと思う。
インクルーシブ教育には、いろいろな考えがあると思う。ここで言うのは気が引けるが、共生社会は面倒くささを引き受ける社会であると思う。絵に描いた餅というか、理想的ないいことばかりあるのではなく、面倒だし、費用がかかるし、その人たちを排除したほうが楽に進むが、そこを一緒に取り入れて考えるという、私たちと言ったときに障害のある人やLGBTQ+の人が入っていないとか、そういうことがないように考えていけるような教育の体制をつくることができれば、形式はどうだっていい。一緒にいるほうがそういう考え方は進むとは思うし、面倒くささを当たり前に体験させていくことも共生社会への理解であると個人的には思う。
【委員】
インクルーシブ教育では、特別支援学校をつくったほうが手っ取り早いという考え方もあるし、保護者にしてみると、安心はあるかもしれない。
ただ、参考人の今日の話を聞くと、ルールは変えられるので、例えば普通の学校でも、需要があれば工夫して使うとか、お金をかけずしても、現場で工夫すれば使えるという発想も必要であることを教えてもらったので、今後、何かの場で使えればと思う。
【参考人】
身体障害や知的障害が主な対象の子供になってくると思うが、公益財団法人日本パラスポーツ協会の指導者養成講座の中には、初級、中級、上級、スポーツコーチなどいろいろなコースがあり、中級には、学校で体育を教えている先生が対象になる講座がある。
多くの場合、自分の学校に障害のある子供たちがいて、どう体育の授業を動かしていけばいいのかに答えが出せるような内容の講座になっており、必要であればそういう情報も伝えることができると思う。
大会を機に、そういう知識のある先生が増えていくというのも大事であると思う。
【委員】
今の話は、I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の教材の中に入っているのか。
【参考人】
今の話は、先生を対象にした資格制度の問題で、教材とはまた別である。
I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)の考え方を基にして、学校の中で様々な場面、体育に限らず、様々な場面でそういう工夫をしていくヒントは、先生の中にも残るといいと思う。