豊橋市
Toyohashi City
種類 | 名称 | 解説 | 紹介サイト(外部ウェブサイトへ) |
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街道・宿場町 | 東海道と二川宿 | ・東海道五十三次三十三番目の宿場町で、日本橋から歩いて三河に入る最初の宿場町である。 ・東海道は二川宿を東西に横断しているが、宿場内に2箇所鉤形に曲がったところがある。旧街道沿いには、趣のある建物が点在しており、宿場町の面影が残る。 ・旧東海道の宿場では2カ所しか現存しない二川宿本陣は、平成3年に改修・復元整備され、資料館を併設した「豊橋市二川宿本陣資料館」として公開されている。また、本陣東には旅籠屋も復元されている。平成27年には商家の復元も予定されている。 ・現在の二川では、東海道沿いの古い町並みを残していこうと、景観整備の推進や地元活動団体の活動などが盛んである。 |
豊橋市二川宿本陣資料館 |
Network2010(東海道二川宿) | |||
城・城下町 | 吉田城と吉田城下町 | ・豊橋の前身である吉田の町は、古くは今橋と呼ばれ東西交通の要衝であった。戦国期には東三河の拠点として今川、武田、松平(徳川)の争乱の舞台となり、その頃に吉田に改称された。 ・天正18年(1590年)、秀吉の命により、吉田城主となった池田輝政(のちに播磨姫路藩の初代藩主)によって、吉田城および城下町の大改築が行われた。 ・江戸時代は、城下町、宿場町として栄え、また豊川・三河湾の舟運や伊勢詣での船旅の湊町としてもにぎわった。明治2年(1869年)、吉田は豊橋に改称された。 ・東海道は吉田城を取り囲むようにして、東から南、西へと折れ曲がっていた。現在は戦災復興の都市計画等により、城下町の面影は見受けられないが、東海道沿いには常夜燈や石牌が残っており、吉田城址には隅櫓が復元されている。 |
Network2010(東海道吉田宿) |
観光 | 市内の名所・史跡については右のウェブサイトを参照してください。 | 豊橋市観光コンベンション協会 | |
文化財 | 市内の文化財については右のウェブサイトを参照してください。 | 豊橋市美術博物館(豊橋の文化財) | |
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