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17 暗渠に建つ「まち」。水上ビルと牟呂用水のお話し

ページID:0384078 掲載日:2022年5月27日更新 印刷ページ表示

暗渠に建つ「まち」。水上ビルと牟呂用水のお話し

 昨年11月に豊橋駅前大通りにオープンした複合施設「emCAMPUS」。
 その生まれて間もない近代的なビルと向かえ合わせに建つのが、50有余年の歴史を纏う鉄筋コンクリートのビル群「水上ビル」です。
エムキャンパスと水上ビル
向かい合わせに建つ「emCAMPUS」と「水上ビル」
 穂の国とよはし芸術劇場PLATから東方面に向かって、「豊橋ビル」、「大豊ビル」、国道259号を挟んで「大手ビル」と、3つのビル群で構成されており、1964年(昭和39年)の「大豊ビル」の完成を皮切りに、1965年に「豊橋ビル」、1967年に「大手ビル」がそれぞれ建設され、「水上ビル」と総称されるようになったとのことです。
 「水上ビル」は、その名のとおり暗渠に建つ特殊なビルで、「水上ビル」の下には、豊川左岸の農地を潤す「牟呂用水」が流れています。
「水上ビル」の下を流れる「牟呂用水」
「水上ビル」の下を流れる「牟呂用水」
 「牟呂用水」の歴史は古く、1887年(明治20年)の「賀茂用水」の開削まで遡ります。
 「賀茂用水」は、一鍬田村(現在の新城市一鍬田)から賀茂村(現在の豊橋市賀茂町)に至る約8kmの農業用水で、村民総出の開削により、一度は完成を見たものの、直後に暴風雨に見舞われ壊滅的な打撃を受けてしまいます。
 同じ頃、牟呂村(現在の豊橋市牟呂町)の地先では、三河湾を干拓して新田開発を行う一大プロジェクトが進行しており、そこでも農業用水が必要とされていました。
 こうした経緯の中で、両者による交渉が持たれた結果、干拓事業者の手によって、「賀茂用水」が修復されるとともに、そこから先、牟呂村までの約16kmにわたる新たな水路が開削されることとなりました。
 一方で、新田開発のプロジェクトは、その後、風水害や地震災害など幾多の難事に見舞われて継続困難となり、実業家である神野金之助氏に権利が譲渡されます。
 神野金之助氏は、多額の費用を投じて新田と用水の復旧にあたり、これまでの失敗を教訓にして、総延長約12kmに及ぶ強固な堤防を築き上げます。
 その際、特に重要な堤防については、大日如来を起点として、100間(約180m)毎に合計33体の観音を建立しました。この33体の観音様は、「護岸観音」として親しまれ、海を背にして立ちながら、今も新田の安全を見守っています。
 「護岸観音」の建立には、信仰に篤い地元の方々が、日々、観音様を巡礼することで、堤防損傷の早期発見につながるという狙いもあったようです。
地元で親しまれる「護岸観音」
地元で親しまれる「護岸観音」
 こうした経緯を経て、1894年に水路改築を終え「牟呂用水」が完成、1896年に「神野新田」の堤防再築も完了します。
「牟呂用水」(新城市一鍬田)
「牟呂用水」(新城市一鍬田)
 そして、お話しは再び「水上ビル」へと戻ります。
 1945年6月の空襲で、豊橋の中心市街地は焦土と化します。
(うるわしの白百合。東三河と戦争のお話し(その1))
 戦後、焼け野原となった豊橋駅前では、青空市場から必死に身を興した店主たちによって、58店舗が入居する木造の雑居マーケットが造られ、「大きな豊橋をめざして」との願いを込めて、「大豊商店街」と命名されました。
 しかし、復興が進んで市街地が再開発される中で、一等地にある「大豊商店街」は、立ち退きを求められるようになります。
 雑居マーケットが造られてから10年も経たない間の出来事でした。
 豊橋駅前という好立地において、農閑期には水枯れになり、美観上の問題がある水路の上に新たな土地を生み出すというアイデア。苦境の中で見出された活路が「水上ビル」の建設でした。
 1964年、総勢59名の店主が資金を出し合い、1階を店舗、2~3階を住居として、それぞれがビルを縦割りで所有する「大豊ビル」9棟が完成し、「牟呂用水」の暗渠の上に新たな「大豊商店街」が誕生しました。
 今回、おじゃましたのは、「大豊ビル」の完成以来、ここでお店を営む喫茶「キャロン」さん。店内はとてもレトロな雰囲気です。
 お店を経営するお母さんは、
 「ここで50年以上お店を続けてきて、今ではそれが生活の一部。昔は商店街もすごい賑わいで、ビルに入居する時に作った借金も返すことができた。今はすっかりお客さんが減ったけれど、若い人がおしゃれなお店を出したりして、通りを行き交う人たちも変わってきた。」
 そして、「お店の下を水が流れているから、夏場はちょっと涼しいよ」とお話ししてくださいました。
喫茶「キャロン」のレトロな店内
喫茶「キャロン」のレトロな店内
 半世紀を超える歴史のなかで、撤退したお店もあれば、新たに加わるお店もあり、新と旧とが入り混じって、ひとつの「まち」を形成しているのが「水上ビル」の魅力だと思います。
 残念ながら、現在の制度では「水上ビル」を再建することは困難なため、今あるビルをメンテナンスしながら大切に使っていくしかないとのことでした。
「水上ビル」遠景
「水上ビル」遠景
 帰り際、実用美ともいえるその躯体に歳月を刻みながらも、泰然と佇む「水上ビル」を見上げた時、ふと、自分も同じように有限の時間を生きていることに思いが至り、背筋が伸びました。

独立行政法人水資源機構豊川用水総合事業部https://www.water.go.jp/chubu/toyokawa/

豊川総合用水土地改良区http://www.toyosou.jp/index.html

牟呂用水土地改良区

https://muroyousui.or.jp/

松原用水土地改良区

https://matsubara-yousui.jp/