「道の駅したら」がオープン。田口線木製車両が再びにぎわいを運ぶお話し(その3)
田口線が惜しまれながら廃線となって以来、既に半世紀以上が過ぎました。
わたし自身はもちろん田口線に乗ったことはありませんが、母は学生時代、鳳来寺高校へ通学するために毎日利用していたとのことです。車内は立錐の余地もないほど混み合っており、足を踏んだり踏まれたりしたのを記憶しているとのことでした。
そんな田口線も、次第に乗客が減少し、台風による線路への被害も追い打ちとなって、1968年9月1日、ついに廃線の日を迎えることとなりました。
そうして廃線となった田口線ですが、残された線路敷やトンネル、橋梁の一部は、今でも地元の方の生活道路などとして活用されています。今回は、そうした今も残る田口線の遺構をご紹介します。
田口線の起点であった現在のJR飯田線本長篠駅ほど近く、田口線の遺構、内金(うちがね)トンネルに向かって行くと、かつては田口線の線路敷であった道路沿いに河津桜の並木があります。
撮影したのは新緑の季節でしたが、河津桜の見頃となる2月下旬には満開となりますので、是非、お越しになって、ピンクに染まったアーケードを歩いていただければと思います。
続いての遺構は大井川橋梁の橋脚です。
長篠方面から県道32号を鳳来寺山へ向かって行くと左手に見ることができます。
その粛然とした姿は、完成から約100年の時を経て、自然の一部になっているかのようでした。
大井川橋梁を渡ると田口線はしばらく山中を走ります。
木漏れ日の中、今もひっそり待ち人を待つように佇むのが田口線2番目の駅、三河大草です。
三河大草駅は、NHKの火野正平さんの番組「にっぽん縦断こころ旅」でも紹介されていました。その番組では、かつての住民の方から送られてきた手紙が紹介され、そのなかに、電車に乗り遅れそうになると、よく線路上を走りトンネルを駆け抜けて駅に向かった、それを運転手さんが待っていてくれたというエピソードがありました。今となっては、突っ込みどころ満載のお話しですが、当時の人々の大らかさが感じられるエピソードでした。
本日のまぜそば(不定期企画)
本日のまぜそばは、道の駅したら「清嶺食堂(せいれいしょくどう)」さんの「森の恵みまぜそば」です。
鹿肉のローストと挽肉のそぼろ、ぴり辛の味付けがとても美味です。
年齢を重ねて、人間ドックで各種の数値が限界突破し、トロ身や霜降りが胃にもたれる私にとって、鹿の赤身肉は高たんぱくかつヘルシーで、とても良い食材です。