設楽町では、今、山城が熱い。というお話し
設楽町では、今、山城が熱い。
という話を聞きつけて、さっそく行ってきました。
事前に職場の山城マニアの先輩に約2時間に亘るレクチャーを受けて臨んだものの、私の脳内ハードディスクは既に10年ほど前からオーバーフロー状態であり、序盤20分くらいからの記憶がないことはここだけの話にしておきたいと思います。
さて、山城の魅力をお伝えしようとするとき、今も天守などの建物が残る数々の有名な平城とは違って、堀や曲輪(くるわ)の跡が地形として残るのみの山城となると、ビギナーにはなかなか伝わりづらいのが正直なところです。
一方、山城マニアの方は、ビギナーにとっては起伏があるだけの山野を前にして、いかにしてこの城を攻め落とそうか、ここから侵入させておいて狙い撃ちするつもりだな、などとテンションが急上昇するとのことです。
また、三英傑を始めとした戦国時代を彩るビックスターにはなれなかったものの、一族や所領を守るために命がけで奮闘した城主たちの物語を、少ない記録から紐解いていくことも山城の楽しみ方のひとつであるとのことです。
設楽町 田内(たない)城址
設楽町始め奥三河は山城の宝庫です。
築城された時代が異なるものも多いため、ひとくくりにはできませんが、やはり、戦国時代の有力大名、今川・武田・織田・徳川が領地を巡ってせめぎ合った場所だということが関連していると思います。
そうしたなかで、「戦国時代の荒波に翻弄されながらも必死に生きた奥三河の人たちのお話し(鳥居強右衛門)」でもご紹介した山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)は、こうした山城を拠点にして、時流を読みながら優勢な大名に従属することで戦国の世を渡って行きましたが、どちらに付くかで分断が生じ、その分断はまた大きな悲劇にもつながりました。
設楽町 田峯城の復元された本丸御殿
こちらは、山家三方衆、田峯(だみね)菅沼氏の居城である田峯城。
本丸御殿や物見台などが復元されています。
長篠合戦後の顛末で、この山城には悲劇の物語があり、多くの血が流れました。
それについては、みなさんも現地に行って説明書きなどを読んでいただければと思います。
そんな悲劇など、なかったかのように穏やかな景色です。
本丸から望む
田峯城の御城印
本日のパン&コーヒー(不定期企画)
前回の「『道の駅したら』がオープン。田口線木製車両が再びにぎわいを運ぶお話し(その4)」でご紹介した鳳来寺山表参道の中間あたり、小さな橋を渡った先の旧門谷小学校運動場にある「緑のパッサージュ(商店街)」のパン屋「ラパン・エ・パン」さんと「珈琲ままごと」さんに行ってきました。(両店とも月・火・水曜日営業)
「ラパン・エ・パン」さん
ランチにチーズ、卵、トマト、オリーブを載せて焼いたパンをいただきました。
噛みしめるほどに穀物の味わいが広がり、自家焙煎コーヒーとの相性はばっち
りでした。
ランチにいただいたパン&コーヒー
「珈琲ままごと」のマスターに、コーヒーを美味しく淹れるコツを教えていただきました。それは、じっくり3分かけてお湯を注ぐこと。
マスターが注ぐお湯で、コーヒーの粉はふんわりと膨らみ、ふくよかな香りがあたりを包みます。
「珈琲ままごと」さん
なお、せっかくご伝授いただいたのですが、自他ともに認めるせっかちの私にはなかなか難しそうです。。。
旧門谷小学校を眺めながらのひととき。ここには違う時間が流れていました。
旧門谷小学校