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「がん」にまつわる短編エッセイ
「がん」にまつわる短編エッセイ
がんによる死亡者は年々増加し、昭和55年以降、県民の死亡原因の第1位となっています。
愛知県では、平成20年3月に「愛知県がん対策推進計画」を策定し、がんになる人、がんで亡くなる人が減ることを目指して、がん対策を進めています。
がんは、一昔前は不治の病ととらえられていましたが、現在では、早期発見、早期治療により、治る病気と考えられています。
がんの早期発見には、定期的にがん検診を受けることが有効です。「愛知県がん対策推進計画」では、平成24年度までに、がん検診受診率50%を目標としており、受診率向上を目指し、様々な啓発活動を実施していきます。
その一環として、平成21年9月28日から10月31日まで、「がん」(乳がん・子宮がん)にまつわる短編エッセイを募集しました。
ご応募いただきました作品をご覧いただき、がん検診の大切さが伝わり、一人でも多くの方にがん検診を受けていただきたいと考えています。
応募作品
『検診を受けてください!!』
私は2年前37歳のときに人間ドックの検診で左胸に乳がんが分かり手術をしました。
当時の私は営業職をしており成績は絶好調、「なんで私が…」という気持ちでいっぱいでした。
乳がんは手術で取り除くだけでは終わりません。手術はスタートにしか過ぎないのです。
それからの私は「挫折、そして転職、離婚、」自分の病気のこともまわりに話すこともできず、とても孤独でした。
この2年のピンクリボンの会の活躍は目覚しく 認知度は高いものになったと思います。
おかげで私も2年経った今やっと、友人に検診を勧められるようになりましたでもまだまだ名古屋の検診率は低く 私のざわざわする気持ちは治まりません。
今、私は自分の人生を丁寧に生きようと友人や家族との時間を大切にし、笑顔で毎日を過ごしています。この自分が今あるの『早期発見』に尽きるのです。
「お母さん」
ぼくを生んでくれたお母さん
美味しいご飯を作ってくれるお母さん
心配してくれるお母さん
ギュって抱き締めてくれるお母さん
そんなあなたが大好きです
もしもいなくなってしまったら…ぼくはとっても悲しいよ
忙しいの分かるけど
不安なのも分かるけど
ほんの少しの勇気を出してちゃんと調べてもらってね
それだけでぼくは安心なんだ
あなたの笑顔が見られるだけで
今はやんちゃなぼくだけど
いつか絶対優しくなるから
今はとっても泣き虫だけど
いつかきっと強くなるから
だから ねぇお母さんずっとずっと元気でいてね
本当に大好きだからいつまでも長生きしてください
「おかあさんのおっぱい、パンダみたい」
当時 7 歳だった私が、入浴時に母へ言った一言だ。
加齢のせいかと思いつつ、良く触ってみると右乳房にはないしこりが左乳房にある気がした母は検診へ行った。
母は、乳がんだった。
私は、 7 歳らしい純真無垢な人格を着せられていたが、家族にある危機は充分わかっていた。
当時、父は家庭外に刺激ある快楽を求めていた。
思春期中の姉はぐれ、がんは“家族終了のお知らせ“だと私は思った。
しかしむしろ、がんは家族を繋いだ。
父は失いそうになって気づき、姉はぐれている場合ではなくなった。
今では毎週末、母は父と腕を組んでお出かけだそうだ。
25 歳の私は純真無垢な気持ちで、このエピソードを語ることができる。
無題
「がん検診受けたか」夫が言いました。
「去年受けたから今年は休む」と私。
「がんにかかるのはあっと言う間だぞ。この1年のうちにがんにかかったらどうするの」と夫。
「だって面倒くさいんだもの」と私。
そうは言ったものの、夫がいつになく強くすすめるので、乳がんと子宮がん検診を申し込みました。
幸いがんはありませんでしたが、受けたことで心のどこかにあったがんに対する不安が消えて、すっきりした気持ちになりました。
不安によるストレスがとれ、身体が軽くなったようです。
私達夫婦ももうすぐ還暦、仕事も定年退職します。2人ですごす時間も増えるでしょう。「お互い健康で長いきするために、しっかり検診受けようね」と誓い合いました。
「30才でまさか自分が!」
20人に1人は乳がんにかかっているときいたことはあるけれど、自分がなるとは思ってもいませんでした。
一般に、30代後半から40代ぐらいにおこりやすいと言われている乳がん。検診や手術入院をする際驚いたのは、20代の方も多いということ。
今後の自分や家族、恋人、友達の為に、お風呂あがりの5分 ちょっと胸に手をあててみませんか?そして、年に一度、マンモグラフィーとエコー検査をして頂くことを強く願います。
少しの勇気があれば大丈夫。 乳がんになった私からのお願いです。
「再検査のお陰で」
「ガンにはならない」、身内に患者がいない私はそんな不遜な考えを持っていた。
日本人のうち数人に1人はガンに罹ると言われている現代。無関係と勝手に思い込んでいた私に、病は襲ってきた。
入浴中に何気なく触れた左胸、指先に感じたのは明らかにしこりの存在だった。
専門医による触診と針生検では「良性」の診断だったが、安心のためにまた半年後に検査を、という医師の言葉の重みを実感することになる。
2度目の針生検で「悪性」が検出、私が乳ガン患者となった瞬間だった。
幸い早期にあたるステージ1。
あの時の医師の言葉がなければ、人生が大きく変わっていたかもしれない。
再検査のお陰で発見されたことに感謝する日々を送っている。
「お香典受け取りました ありがとうございます」
社内便の書類の中にお手紙とお香典
朝から又 泣いてしまったでは ないですか(>_<)
妹の章子は 去年の5月から闘病して参りましたが 残念ながら家族全員に見守られながらこの世を去ってしまいました。40歳でした。
闘病中 私は夢や希望を与えたりする事ができず 治療をしつくしてしまって 自宅に帰される時など実家に帰りたいという妹に 余命の宣告を受けた事を話し、今思うと本当の最後より辛かったです。
「もう時間がないんだよ・・・子供達のそばに少しでも長く居てあげなくちゃいけないんだよ・・」と
私たちは 二人で泣いて泣いて・・・。そして 何時間も経って・・・
やっとの思いで 子供達の居るダンナの実家で自宅介護を受ける決意をし 余命3ヶ月を待たずに 死んでしまいました。
私は自分が五年前に 乳がんになり周りに対しては〝早期発見を!〟と言っていたのに。。。。妹がこんな事に。
もう後悔はしたくありません だから検診には行ってくださいね。
無題
検査をしない理由ランキング→。
3位「お金がかかる」。
確かに40歳以下の人には多額が検査費がかかります。でも、外食を一年に2~3回減らし検査を受け、これから長生きすれば、何千回とおいしい食事ができますよ!
2位「時間がない」。
みんな24時間という平等な時間を持っています。歯がいたくなったら、どうにかしてでも歯医者にいきますよね?でしたら、どうにかしてでも 検査にいけますよね?。
1位「マンモグラフィが痛い」。
マンモは痛くないです。針をさすわけでもなく、切るわけでもなく、血もでません。やわらかい脂肪をはさむだけです。それでガンが見つからなければ 万歳!!もしも、もし見つかっても、超早期発見!万歳!!!
以上、30代主婦乳がん患者からの心からのお願いです。検診をどうかうけてください。
「愛する人のためにも検診を」
「私は何より癌が憎い。そして何より癌が怖い。」
昨春、私は無二の親友を乳癌で失った。彼女は新婚2年目だった。
彼女を愛するご主人と私は、あの日悔しさに涙した。
実は私も7年程前に検診で乳腺の異常が見つかった。幸い癌ではなかったが、当然彼女に相談した。だから彼女が自身の胸にしこりを見つけたとき、すぐに病院に行った。
にも、拘らず助からなかった。
彼女は壮絶な闘病生活を最期まで気丈に振舞い、立派だったと拍手を送りたい。
しかし、寄り添った私達には癌への恐怖と憎しみだけが心に刻まれた。
多くの人にこの事実を知ってほしい。自分で見つけた時では遅いこともある。
貴女を愛する人を悲しませないためにも、検診は受けるべきだ。
無題
乳がん検診の案内は何回か届いた。「私は大丈夫。リスクが低いじゃない。」
ある日、自分の指に胸のしこりが触れた。それが乳がんだった。
告知を受けてからそれは忙しかった。自分のことなど考える暇さえなかった。
仕事のこと、子供の受験のこと、病気などしていられない、早く仕事にも復帰しよう、そう思い準備万端にして入院した。
乳房を失うことは「仕方がない」と自分自身で言い聞かせた。
退院して一人でいる時間が多くなり、私は現実が受け入れなくなってしまった。
悲しみが一気に押し寄せ私はうつ状態になった。
あれから 6 年、今は何事もなかったように充実した日々を送っているが、私は「がんサバイバー」になった。
無題
「案ずるより産むがやすし」と言いますが、乳がん検診も同じだと思います。
私は数年前に初めてマンモグラフイ検査を受けました。そして、その検査でひっかかりました。
「ええっ、まさか!!」という心境でした。
一週間後に超音波。結果はグレー(白でも黒でもない)。
次は細胞診(注射針を入れる)。結果は、またもグレー。先生も私も「白色」がほしいのです。
次は生検です(切開して取り出す)。この検査結果が出るのに二週間ほどかかりました。
気分は落ち込み、ため息ばかりの毎日でした。
結果は「白」。うれしいの一言でした。
白を得られた私が言えることは、勇気を出して検診を受けることです。そして、その白色が変化しないように毎年検査を受けています。
無題
乳癌で入院、手術と約一年がたちます。まだ再発の恐れがあります。
後四年長い道のりです。
乗り越えられた時きっと短かったと思うのでしょうネ。
入院中は不安な毎日で、回診以外に来てくれる先生と看護師の元気や笑顔で癒されました。
手術で脇にクダをつけていたので、約2週間くらいシャワーもできずタオルで体をふくくらいでした。
一人の看護師さんが私の気持を思って、腰から下をシャワーで洗ってみたらどう、付いてあげると言ってくれました。私は一人で入りました。
こんなちょっとしたことがとてもうれしくて、シャワー出しながら泣きました。
癌に負けないと誓いました。
「まさかの宣告」
小さめの乳房の私には数分の我慢が必要であったが、それでも毎年欠かさず何十年と検診を受けてきた。
今回は微少な石灰が写っているとのことで、エコーとマンモトームの再検査となったが判明せず、病院を替えての再々検査となった。
この時も、癌家系でないと云うそれだけの理由で、大丈夫だと信じていた。自分に都合よく考えていただけに、告げられた時は、頭が真っ白になった。
人生には「まさか」がつきものである。だが不思議と冷静に現実と向き合うことができ、レベルや治療法を担当医とじっくり話し、生活環境に合わせた病院で治療ができた。
あの「まさか」の日から二年が経過した。良いことも悪いことも自分の身に起きることはすべて自己責任なのです。
介護する者へひとこと
四十年近く前に、妻をガンで亡くした。
四十三歳の誕生日に、息を引き取った。子宮がんだったが、処置が遅れたためだ。
それまで妻は、交通事故で寝たきりとなった父親を抱えていた。
ちょうど十年間、父親は入院をつづけた。
妻は自分の体調がおかしくなっているのに、医者へ行こうとしなかった。
不幸な親を抱えた世間的な恥ずかしさとか、自分が病気と診断されたくない気持ちとかがあって、診察をのばしていた。
日々のいそがしさもあるが、それで処置がおくれて命取りとなったと思える。
配偶者の私は、このことから、介護する人たちに一言いいたい。
そういう立場の人は、自重すること、自愛をおこたらないこと、と。
「みんな健康で」
乳がんが増えているという記事を度々見て、この処手抜きしていた検診を昨年受けました。
要精密検査の通知書。×ヶ月後病院へ。
結果は「即手術したい。治療を受けて下さい。」ガンと頭を殴られた気持ちでした。
今66才。しまった、1年でも早ければ少しでも軽かったかしら。でも今は手術を受け、確り治療中。
ああ良かったのだと”無知もあった。関心も薄かった”
子育て真っ最中の長女からは「早く見つかって良かったね」
又、励まし元気づけられた友人、妹達へは「検査受けてね。早く見つかれば治療も軽く済むから。大事な事」と伝えます。
皆周りに、乳、子宮がんの治療者があるそうです。「他の経験者からも検診勧められるので考えてみたい」と言う人も
問合せ
愛知県 健康福祉部 保健医療局健康対策課
がん対策グループ
電話:052-954-6326(ダイヤルイン)
E-mail: kenkotaisaku@pref.aichi.lg.jp