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第41回「全日本中学生水の作文コンクール」愛知県表彰 優秀賞 『黄金堤と吉良様』

ページID:0245745 掲載日:2019年7月24日更新 印刷ページ表示

『黄金堤と吉良様』  碧南市立新川中学校 2年 石川 昂平(いしかわ こうへい)

 毎年、12月14日、西尾市吉良町にある華蔵寺には、たくさんの吉良町の方がお参りにみえます。吉良上野介様の命日の日です。忠臣蔵では、ご存知の通り悪役でのイメージが強いですが、地元では「吉良様」と呼ばれて大変尊敬されているそうです。

 僕の曽祖父までは、吉良町に住んでいたそうです。そして僕の母方の祖母は、吉良町出身です。

 「吉良様」と呼ばれるくらいの方だから、きっと地元ですばらしい功績を残された方に違いないと思いました。

 父母や両祖母から、こんな話を聞きました。「黄金堤」という、今でいう堤防を造られたそうです。しかも一日で。別名「一夜堤」と呼ばれているそうです。

 僕は、なぜ「黄金堤」を造らねばならなかったのか気になり、吉良町の資料館まで行き調べることにしました。

 江戸時代まで、さかのぼります。

 この堤がある一帯は、大雨などによる増水のたびに隣藩上流の広田川、須美川から流れ込む水により洪水が起こり、水路もたびたび変わる泥沼地帯であったそうです。

 その南にある吉良領は洪水が起こると田畑や家財が流されるの繰り返しであったそうです。

 1686年、水田地帯の住民を救うべく、吉良義央、後の吉良上野介が私財を投じて、鎧が渕の上流に長さ180m、高さ4mの堤を築いて流れを矢作古川に合流させるようにしたそうです。この堤は領民の力を結集して一夜にして築堤されたそうです。故に、「一夜堤」と言われるようにもなったそうです。当時としては、水が漏れないように粘土が使用されるなど現在の技術からみても優れたものであるそうです。この堤で吉良八千石が水害から守られ、金色の稲穂が田を彩るようになったことから「黄金堤」と呼ばれるようになったそうです。

 水とのかかわりは先人から現在まで受け継がれています。それは水との戦いでもあり、水からの恩恵でもあり、共存でもあります。

 水は地球に生きているものすべてに欠かせない命の源です。

 水は僕達に様々なことを教えてくれます。時には、怒り、豪雨や洪水を起こし、時には、恩恵を与え、秋には五穀豊穣に感謝する祭礼を全国各地で開催させてくれます。

 「吉良様」はこの水の教えを知っていたのでしょうか。

 水の怒りを鎮め、陳謝するために、治水事業を行い、私財を投じて領民とともに一夜にして「黄金堤」を造られました。

 水も、その功績を称えるかのように、「黄金堤」築堤後、洪水で苦しんでいた領民の田にたわわな稲を実らせてくれました。

 「吉良様」はその様子を赤馬に乗られて見回りに来られたそうです。

 まさに水との共存です。

 僕は、このことを知り、先人の水に対する思いは、計り知れないものがあると痛切に感じました。

 現代に生きる僕達は、水道の蛇口をひねれば水が出て、コンビニに行けば水を買うことができ、それが当たり前だと思って毎日、生活をしています。

 「吉良様」の水に対する思いを知り、改めて水に感謝して、毎日を生活していきたい気持ちでいっぱいになりました。

 今月の4月に「黄金堤」を訪れました。

 満開の桜並木が堤街道に咲き誇っていました。その桜並木をゆっくり歩き「吉良様」の治水に対する思いを感じていました。

 さわやかな風が吹く中、「吉良様」が堤街道を赤馬に乗られて、これから田植えが始まる田を満面の笑みを浮かべて眺めている姿が僕のまぶたに焼きついてきました。

 「吉良様の 思い奏でる 鼓(堤)かな」

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