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新城市内の寺
新城市内には、素晴らしい自然や歴史文化が多くあります。今回は、JR飯田線「新城駅」から徒歩5分ほどの大善寺(だいぜんじ)と宗堅寺(そうけんじ)を紹介します。
大善寺(新城市西入船)は、1532年田峯城主菅沼定継(さだつぐ)が片山(新城市片山)に大膳庵を建てたのが始まりとされています。徳川家康公の長女・亀姫の発願で大膳庵を現在地に移して、大善寺と改めたといわれています。
境内には、山門、土塀、鐘楼、本堂などの建物や「亀姫の墓」とされる五輪の塔があります。大善寺は徳川家とのつながりも深く、昔から山門や土塀、瓦などの各所で葵の紋の使用が許され、現在でも多く見ることができます。
大通りに面した大きな由緒あるお寺です。土塀には葵の紋も見えます。
山門の入口にある、「大善寺と亀姫」の説明看板です。
正面は本堂です。本堂に向かって左側の墓地には「亀姫の墓」とされる五輪の塔が建てられています。
各所に葵の紋を多く見ることができます。
続いて、宗堅寺(新城市宮ノ前)は、菅沼定実(さだざね)が、丹波亀山から新城に移封した時(1648年)、ここに移した寺です。新城城主であった「菅沼家」の菩提寺でもあり、墓地には初代定実から11代定長までの菅沼家歴代の墓があります。
また、武田信玄が野田城を攻撃した時(1573年)、城内から聞こえてきた笛の音に誘われて出てきた信玄を撃ったものと伝えらえる鉄砲「信玄砲」が保存されていす。現在は、設楽原歴史資料館(新城市竹広)で展示されています。
宗堅寺の山門です。山門に向かって左側には「旧新城藩主菅沼家菩提所」と刻まれた石標が立っています。
宗堅寺の山門を入ると、正面に本堂が見えます。
「信玄砲」の説明看板です。現在「信玄砲」は市の文化財に指定され設楽原歴史資料館で展示されています。
設楽原歴史資料館で展示されている「信玄砲」です。木部などは失われ、銃身の部分のみが残されています。
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