主な展示作品
主な展示作品

《相馬駒焼 福島県》
鉄絵駒図湯呑茶碗
十三代 田代清治右衛門
滋賀県立陶芸の森蔵
初代田代源吾右衛門が相馬藩主相馬利胤の命を受け、京焼の野々村仁清の御室窯で修業し、現在の福島市中村字田町に開窯した、と伝えられている。江戸時代は藩(はん)窯(よう)として幕府や大名への贈答品を制作し、明治以降も続いた。現在、十五代(1947-2011)の逝去後、清治右衛門は空席となっている。

《益子焼 栃木県》
塩釉陰刻山図湯呑茶碗
浜田庄司
滋賀県立陶芸の森蔵
浜田庄司(1894-1978)は神奈川県生まれ。東京高等工業学校窯業課を卒業後、京都市陶磁器試験場に勤務し、イギリスのセントアイヴスでの作陶を経て、益子を拠点とした活動をはじめた。柳宗悦、河井寬次郎、バーナード・リーチらと共に民芸運動を発展させ、昭和30年(1955)重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定された。

《九谷焼 石川県》
青手九谷山水図共蓋湯呑茶碗
初代徳田八十吉
滋賀県立陶芸の森蔵
初代徳田八十吉(1873-1956)は石川県小松市の染物屋に生まれた。はじめ日本画を学んだが、陶磁器の上絵付けに関心をもち、九谷焼の荒木採令に師事し、その研究に心血を注いで九谷五彩を再現させた。三代八十吉(1933-2009)は重要無形文化財「彩釉磁器」保持者(人間国宝)に認定され、現在は四代が継承している。

《瀬戸焼 古瀬戸窯 愛知県》
織部写共蓋湯呑茶碗
三代加藤作助
滋賀県立陶芸の森蔵
加藤作助家は御窯屋加藤唐三郎(初代)の三弟景元を家祖とする赤津の陶家である。初代作助(1808-1893)は古作に倣った古瀬戸釉や織部の茶器などを作り、二代は大正天皇の御大典記念に古瀬戸香炉を制作して「古瀬戸窯」の号と金印を賜った。三代は織部焼の名手。その後四代、五代と継承され現在に至る。

《清水焼 鐘渓窯 京都府》
辰砂藍絵花鳥文湯呑茶碗
河井寬次郎
滋賀県立陶芸の森蔵
河井寬次郎は島根県生まれ。東京高等工業学校窯業課を卒業後、京都市陶磁器試験場に勤務し、大正9年(1920)鐘渓窯で作家活動をはじめた。柳宗悦、浜田庄司、バーナード・リーチらの唱える民芸運動の賛同し、精力的に活動した。木彫、書、文筆の分野にも積極的に関わった。

《水月焼 愛媛県》
色絵陽刻蟹文湯呑茶碗
好川 亀
滋賀県立陶芸の森蔵
水月焼は好川恒方(1883-1978)が愛媛県松山市岩崎町で開窯。青年期に学んだ造形菓子の技術で細工物を用いる陶磁器をはじめた。神像、動植物、山水などを得意としたが、なかでも天神蟹(赤手蟹)は自宅で飼育して生体観測し、写実的な表現を追求した。好川亀は恒方と共に制作した兄弟。二代は恒悦が継承し、その後閉窯となった。

《有田焼 佐賀県》
赤絵染付柿絵共蓋湯呑茶碗
十二代酒井田柿右衛門
滋賀県立陶芸の森蔵
同家は有田を代表する陶家。初代(1596-1666)は色絵の創始者として知られている。十二代(1878-1963)は昭和28年(1953)、柿右衛門様式の素地であり江戸後期に断絶していた「濁手」の復元に成功。柿右衛門製陶技術保存会は、同51年に重要無形文化財「柿右衛門(濁手)」保持団体に指定された。現在の当主は十五代。

《壺屋焼 沖縄県》
染付鉄絵唐草文湯呑茶碗
制作者不明
滋賀県立陶芸の森蔵
壺屋焼は那覇市壺屋周辺地域において1682年頃からはじまった。壺や甕など大物で無釉の焼締陶器「荒焼」と、日常陶器など小物の施釉陶器「上焼」があり、沖縄諸島一円に流通した。明治以降、有田焼におされて衰退したが、民芸運動を通じて再び注目を集め、今日に至っている。