伝統野菜への念い

伝統野菜への念い

古き時代に海の彼方からやって来た数多くの野菜群。
いつしか その土地に根づき地元ならではの野菜として絶えることなく生き続けてきた野菜。
そして日々の暮らしに寄り添いながらその地方の人や風土、食文化を育んで来た野菜。
旬の時期しか生産できない「旬を感じる野菜」として今の野菜にはない強い香り、えぐみ、苦みなど多様な味がそなわり、日本人の繊細な味覚を育ててくれた野菜。
店頭にならんでいる野菜に比べると生産効率は悪く、揃いが悪いことなどで流通にはあまり適さない野菜群かもしれないが絶やしてはならない「食の胤(たね)」である。

あいち在来種保存会 代表世話人 高木幹夫

あいち在来種保存会 代表世話役人 高木幹夫氏

農協職員時代に在来のたまねぎの採種に携わり、在来種が消えていく中、次世代に種を残し消費者に味わってもらいたいとの思いで在来種の採種・栽培を開始した。
「種から国産」を理念に、「あいち在来種保存会」を設立(2013年)し、保存会の代表世話役人となり、2015年にはあいちの伝統野菜全ての栽培・採種を手掛けるようになった。耕作放棄地を借り受け、現在はおよそ300坪の農地で栽培展示及び採種を行っている。
一般社団法人日本野菜ソムリエ協会認定野菜ソムリエ(上級プロ)取得(2008年7月)、公益財団法人日本特産農産物協会地域特産物マイスター認定(2023年12月)、「第9回 ディスカバー農山漁村(むら)の宝」特別賞(むらの宝食文化賞)受賞(2023年12月)等。

だいこん発祥の地から
~大根の自慢話~

愛知が全国に誇る「宮重だいこん」

だいこんは、日本で最も古くから栽培されてきた野菜の一つです。
野菜づくりが盛んだった愛知では、江戸時代には既にだいこんが広く栽培されていたことが史実として残されています。
現在、日本国内で流通しているだいこんの多くは、あいちの伝統野菜である「宮重だいこん」をもとに品種化されたと言われています。
そんな「宮重だいこん」にまつわる史実の一部をご紹介します。

宮重だいこんの命名秘話

江戸時代、宝永年間(1704~1711年)のある時、尾張のお殿様が西春村(現北名古屋市)で鷹狩りを催されました。その帰り道、お殿様は、宮重の庄屋近藤庄右衛門さんの家でお休みになりました。
庄右衛門さんは不意のおいでというので上を下への大騒ぎ。さっそく座敷に案内をしました。さて、田舎のことゆえご馳走とて何もなく、やむなく近くで採れただいこんを煮て、昼食に出しました。お殿様は大変お喜びになって、「これはなかなかおいしい。なんというだいこんか。」「名と言って別に・・・」「ふむ、そうか。このあたりは何というか。」「宮重と申します。」「では宮重だいこんとせよ。」
そこで、それ以来、宮重だいこんとして毎年お殿様に献上することとなりました。
(原典「西春日井郡伝説集」)

宮重だいこんを伝える取り組み

宮重だいこんを伝える取り組み

清須市の春日宮重町には「宮重大根発祥之地跡」の記念碑があります。また、産地では「清須市春日宮重大根純種子保存会」が栽培技術・採種技術の継承に取り組んでおり、宮重だいこんの歴史と誇りを後世につなげています。