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スペシャルコラム

仲村宗悟さん

仲村宗悟さんプロフィール
1988年7月28日沖縄県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを志し上京。友人が出演する舞台をきっかけに声優を目指す。15年、ゲーム「アイドルマスターSideM」の天道輝役で声優デビュー。19年3月「第13回声優アワード新人男優賞」を受賞し、10月にはアーティストデビューも果たす。その後もテレビアニメ「ブルーロック」我牙丸吟役、映画「THE FIRST SLAM DUNK」(2022年)宮城リョータ役で注目を浴びるなど映画、アニメ、ゲーム、ラジオ等、活躍の場を広げている。

更新日:2023年6月
取材日:2023年5月11日

映画「THE FIRST SLAM DUNK」(2022年)宮城リョータ役などで人気の声優でシンガーソングライターの仲村宗悟さん。夢を抱いて沖縄から上京。約4年弱、介護職員として働いた経験をもっています。人気声優として活躍する仲村さんに、介護の世界で働くことになったきっかけや、介護職を通じて得たもの、仲村さんが感じる介護職の魅力などについてうかがいました。

働きながら資格を取得できることに魅力を感じ重いハンディがある方の生活サポートに従事

 僕は24から27歳ちょっとくらいまでの約3年半、ハンディを持つ方の自立を支援するNPO法人に就職し、介助スタッフとして働いていました。自宅にうかがって日常生活のお手伝いをするのですが、担当するのは同性の一人暮らしの方。基本、日勤と夜勤に分かれていて、1日1人を訪問。ハンディも年齢もさまざまな利用者さんの食事や調理、トイレ、入浴、外出など日常のあらゆることをお手伝いする仕事でした。
 それまで介護の勉強をしていたわけでもないのに、なぜ介護職を選んだのかというと、学生時代から資格を多く持っていた方が有利だと思っていたからです。働きながら資格を取るための勉強もできると聞いて魅力を感じました。お給料をちゃんともらえて、資格ももらえるなんてラッキー!くらいの感じでしたね。働いている間に当時のヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を取得しました。
 僕が当時、受け持っていたのは脳性麻痺の方と筋ジストロフィーの方、脊椎の損傷により体が麻痺して、動くことができない利用者さんもいらっしゃいました。その方は自分で排尿することができなかったのでウロバッグ(尿を貯めるためお腹に着けておく袋)の交換なども行っていました。

仲村宗悟さん

仕事中、心掛けていたのは“かわいそう扱い”しないこと

 僕が就職した法人は利用者さんの主体性を大事にしていて、こちらが勝手に介助するのではなく、利用者さんが自立するために望む介助を利用者さんの指示に従って行う、例えば調理なら、このメニューを作るのでこの肉を切ってくださいと指示を受けて僕らがつくる。こちらからアイデアを出したりはしますが、基本は利用者さんが決めたことを尊重し実践する介助です。できることは利用者さんによって違うので、そこを見極めながらサポートします。
 介護の勉強をしていたわけではないので、仕事に就いた当初は戸惑うことばかり。最初はベテランの人が付いてくれるので、教えてもらいながら徐々に慣れていきました。コミュニケーションの取り方も利用者さんそれぞれ。ボードを指で押すと声が出る機械で意思疎通を図る際、最初は聞き取れなかったりして、どうしたらいいんだろうと悩んだこともありました。
 やることはたくさんありますが、僕の中ではコミュニケーションを取ることが一番の仕事だと思っていました。人と暮らすにはやはりコミュニケーションが大事。1週間で介助する人が何人も変わるのですから、利用者さんにとってもストレスですよね。そのストレスを無くすために、円滑なコミュニケーションがとれるよう気をつけていました。
 中でも心掛けていたのは“かわいそう扱い”しないこと。同じ人として、互いに気を遣い合うことは大事だけれども、世話をする側、される側ではなく対等に付き合うという感じ。一緒にアニメやドラマを見たり、散歩や買い物に出掛けたり…、色々しましたね。

仲村宗悟さん

利用者さんとの暮らしで感じた1日の大切さ、生のエネルギー

 今でも声優の仕事をしていなかったら、介護の仕事を続けていたと思います。僕は高齢者介護もハンディのある方の介護ももっと気軽に挑戦してみてほしい。「介護の仕事、大変だったでしょう?」とか「介護の仕事するなんて偉いね」なんて言われることがあるのですが、僕はどの仕事も変わらないという思いをもっています。介護の仕事はお給料も悪くなかったし、最初はいろいろ覚えることがあったりしますが、そこまで気負い過ぎず「1回やってみようかな」くらいの感覚でいいんじゃないかって思います。
 この仕事の魅力は、たくさんの方と出会えることです。人と話すのが好きなので、いろいろな話が聞けるのが楽しかったです。このときの経験は今も役立っていると思います。利用者さんたちはハンディを持っていますが、1日を大切に、エネルギーに満ちて生きていらっしゃる。利用者さんたちと一緒に過ごしたことで、僕も声優という仕事に出合い、夢を抱くことができた。一日一日を大切に生きなければならないと思えるようになりました。
 今後は声優として、色々な役を演じ、たくさんの人に知っていただき、もっとできることを増やしていきたいですし、アーティストとしてももっと皆さんに知っていただきたい。いつか武道館でコンサートをやってみたいです。
 介護職として働いていたころを振り返ってみて思うのは、理想をもちすぎたり、自分にとっての介護像みたいのを作りすぎると、理想に当てはまらなかった場合、だんだん苦しくなってしまうのではないかということ。柔軟な思考がすごく大切だなと思っていて。自分に対して少しの余裕を常に持ちながら働いてほしいと思っています。
 今、介護の現場で、いっぱいいっぱいになってしまったという人には、仕事以外のところでもいいので、自分の気持ちを逃がすところを作ってもらいたい。簡単にはいかないことかもしれません。でもこれは全ての職業の人に当てはまる、大切なことだって思っています。

仲村宗悟さん
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