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あいちのおいたち

ページID:0279161 掲載日:2024年8月22日更新 印刷ページ表示
愛知県庁外観

愛知県庁外観

沿革

 律令体制以前は、尾張(木曽川・庄内川地方)、三河(西三河の矢作川地方)、穂(東三河の豊川地方)に分かれていましたが、律令制下で尾張・三河の2国となり江戸時代まで続きました。
 1871年の廃藩置県で12県が置かれた後、尾張(知多郡を除く)は名古屋県、三河と尾張の知多郡は額田県となりました。その後、名古屋県は愛知県と改められ、額田県を廃して愛知県の管轄に移し、尾張・三河は愛知県として統合されました。
 当時は2,900を超える町村がありましたが、現在は54市町村(38市14町2村)となっています。

「あいち」の地名の由来

 万葉集巻三の高市黒人(たけちのくろひと)の歌「桜田(さくらだ)へ鶴鳴(たづな)き渡(わた)る年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しおひ)にけらし鶴鳴(たづな)き渡(わた)る」に詠まれている「年魚市潟」の「あゆち」が「あいち」に転じたと言われています。
 廃藩置県後、県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用されました。

愛知県庁舎の歴史

 1872年11月27日に誕生した愛知県の庁舎は、名古屋城内に置かれました。その後、1874年に古渡町の東本願寺別院、1877年に南久屋町、1900年に南武平町と現名古屋市内を転々とし、1935年10月に現在の本庁舎の建設が着工され、1938年3月22日に完成しました。1964年6月に西庁舎、1970年7月に愛知県警察本部庁舎、1975年5月に議会議事堂、1985年12月に自治センター、1994年3月に愛知県警察本部北館が完成し、現在に至っています。
 2014年12月10日、本庁舎は隣接する名古屋市役所本庁舎とともに、国の重要文化財に指定されました。

問合せ

愛知県政策企画局広報広聴課
電話:052-954-6170(ダイヤルイン)
メール:koho@pref.aichi.lg.jp