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- 災害を今に伝える史跡など西三河地区
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- 岡崎市の被災状況
岡崎市の過去の被災は、矢作川水系の水害が中心で、岡崎市街地は何度も浸水したことが岡崎市史に記されています。地震に関しては、明治24年(1891)濃尾地震の際に、多数の家屋倒壊、燈籠・記念碑の倒壊が発生しています。また、中之郷から六名に至る矢作川の堤防に亀裂が入り、安藤川堤防を始め各所に小欠損が発生しています。
昭和19年(1944)昭和東南海地震では矢作川鉄橋付近で東海道線の地盤が陥没し不通となったほか、紡績工場で外壁が倒壊し、女工16人が圧死したという目撃談があります。また矢作川の導水渠が破損し、取水が困難になりました。
昭和20年(1945)三河地震では、矢作町、六ツ美町、福岡町で建物の全壊・半壊が発生しています。
- 碧南市・高浜市の被災状況
この地域では、宝永4年(1707)宝永地震の際に、伏見屋新田(碧南市志貴崎町付近)の田畑、堤防、水門等がことごとく壊れています。
嘉永7年(1854)安政東海・南海地震の際には、碧南市の油ヶ淵周辺、前浜新田が沈下し、津波が襲来したとされています。
明治24年(1891)濃尾地震の際にも、油ヶ淵周辺が沈下しています。碧南市の西端、棚尾、鷲塚では建物の全壊・半壊があったほか、河川堤防が破損しています。
昭和19年(1944)昭和東南海地震の際には、碧南市の西端、旭、棚尾で建物が全壊・半壊しており、田などでは地割れ、泥水の噴出がありました。
昭和20年(1945)三河地震の際には、建物の全壊・半壊があり、碧南市の大浜地区、西端地区では倒壊家屋が多かったとされています。高浜市でも新田全般に地盤が沈下しています。
- 刈谷市・知立市の被災状況
刈谷市では、嘉永7年(1854)安政東海・南海地震の際には、建物の倒壊・破損、新田の堤防の大破、橋の沈下、道路の地割れが発生しています。
明治24年(1891)濃尾地震の際には、建物の全壊・半壊、新田の堤防の陥落、地盤沈下、道路の破損、井戸水の濁りなどが発生しています。
昭和19年(1944)昭和東南海地震の際には、建物の全壊・半壊、名鉄三河線の破損などが発生しています。
昭和20年(1945)三河地震の際には、建物の全壊・半壊、地盤沈下が発生しています。
このほか刈谷市では、地震後の大雨の度に水害に見舞われ、新田を中心に被害を受けています。
知立市では、昭和東南海地震、三河地震の際に、建物が全壊・半壊しているほか、昭和東南海地震の際には、道路・堤防等に亀裂が入るなどの被害を受けています。
- 豊田市・みよし市の被災状況
嘉永7年(1854)安政東海・南海地震は、この地域でも「前代未聞の大地震」と言われるほどのものであったようで、地元では「挙母大地震」として伝えられています。この地震の際には、家屋の全壊・半壊・大破、石灯籠の倒壊、矢作川をはじめ堤防の決壊・破損が起きています。
明治24年(1891)濃尾地震では、家屋が倒壊・傾斜するものがありました。
昭和19年(1944)昭和東南海地震では、家屋の倒壊のほか、池の決壊が発生しています。
昭和20年(1945)三河地震では、矢作川流域を中心に被害が集中し、家屋の倒壊が多数ありました。
なお、矢作川流域では、大雨による洪水・堤防破壊も数度発生しています。
- 安城市の被災状況
安城市では、嘉永7年(1854)安政東海・南海地震の際には、堤防の沈下・亀裂・破損・崩壊があり、堤防が約1.5m~1.8m沈下したところもあります。田畑からの水の噴き出し・陥没、建物の倒壊、水門の破壊がありました。
明治24年(1891)濃尾地震の際には、建物の全壊・半壊、土地の亀裂・陥没がありました。油ヶ淵沿岸の新田一帯は地盤沈下し、翌年より水災は一層激しくなったと伝えられています。
昭和19年(1944)昭和東南海地震の際には、建物の全壊・半壊のほか、道路の亀裂・陥没が発生しています。
昭和20年(1945)三河地震の際には、建物の全壊・半壊が発生しています。