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- 災害を今に伝える史跡など尾張地区
- 一宮市
- 稲沢市
- 江南市、犬山市、大口町、扶桑町
- 岩倉市、清須市、北名古屋市、豊山町
- 瀬戸市、春日井市、小牧市、尾張旭市
- 豊明市、日進市、長久手市、東郷町
- 一宮市の被災状況
一宮市では、天正13 年(1586)天正地震、昭和21 年(1946)南海地震で建物被害が発生しています。嘉永7 年(1854)安政東海・南海地震では、建物被害のほかに堤防の破損も発生しています。明治24 年(1891)濃尾地震では、建物被害のほか、堤防・道路・橋の崩壊、田畑の陥没・隆起、地割れに、水・泥・土砂・礫の噴出、井戸枯れ、井戸の埋没、火事が発生しています。この地震では、織物業に大きな打撃があったとされています。なお、一宮市における遺跡の発掘調査からは、濃尾地震、昭和19年(1994)昭和東南海地震の噴砂跡のほか、古墳時代にできたと思われる噴砂跡も確認されています。
- 稲沢市の被災状況
稲沢市では、天正13 年(1586)天正地震、昭和21 年(1946)南海地震で建物被害を受けています。明治24 年(1891)濃尾地震では、建物の倒壊が多数あったほか、地割れ、水・砂・泥の噴出、井戸水噴出、お墓・煙突などの倒壊も発生しています。なお、稲沢市における遺跡の発掘調査からは、濃尾地震、昭和19年(1944)昭和東南海地震の噴砂跡のほか、天正地震など中世にできたと思われる噴砂跡も確認されています。
- 江南市の被災状況
江南市では、明治24年(1891)濃尾地震の際に、建物の倒壊、水田・道路・堤防などの地割れ、泥水の噴出、地面の陥没・隆起、火事が発生しています。
扶桑町の被災状況
扶桑町では、明治24 年(1891)濃尾地震の際には、建物の倒壊が多数あり、道路に地割れも発生しています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震では、建物の半壊があったとの報告があり、昭和21年(1946)南海地震では多くの家屋の屋根瓦が落ちたと言われています。 - 犬山市・大口町の被災状況
寛文2 年(1662)の地震では、犬山城で石垣が崩壊しています。明治24 年(1891)濃尾地震では、犬山市・大口町とも建物の倒壊が多数あったほか、犬山市では、石垣の崩壊、山間部で山崩れ、火事、地割れ、辰が池、葦池、新池、徳が池、午堤池等の堤防の地割れが発生しています。また、明治元年(1868)には、連日降り続いた雨で入鹿池の堤防が、羽黒村(現犬山市)から小口村(現大口町)一帯に大水が押寄せ、家や人馬に大きな被害を与えたといわれています。
- 岩倉市の被災状況
岩倉市では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、ほとんどの建物が倒壊し、水・砂・泥の噴出があったとされています。
北名古屋市の被災状況
北名古屋市では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、建物の倒壊が多数あった、とされています。西春町史には、瓦屋根の家が大方倒壊した、と記載されています。また明治元年(1868)に入鹿池が決壊した雨の際には、西春でも何箇所かで堤防が決壊しています。
豊山町の被災状況
豊山町では、明治24 年(1891)濃尾地震の際には、家屋の全壊・半壊があったとされていますが、隣接の師勝・西春地区に比べて少なかったとされています。
清須市の被災状況
清須市では、天正13 年(1586)天正地震の際に、建物の倒壊、火事が発生しています。明治24 年(1891)濃尾地震の際には、多数の建物倒壊のほか、火事、道路・堤防などの地割れ、砂・泥・水の噴出、落橋が発生しています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震の際には、壁が落ち、屋根瓦が落下する被害が発生しています。なお、清須市における遺跡の発掘調査からは、天正地震、濃尾地震で出来たと思われる噴砂跡が確認されています。
- 小牧市の被災状況
小牧市では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、建物の倒壊、地割れ、ため池・河川の堤防の決壊、浸水被害、砂・泥・礫・水の噴出、井戸水の噴出、火事、橋梁流失などが発生しています。 - 瀬戸市の被災状況
瀬戸市では、永正7 年(1510)の地震の際に、定光寺の仏殿、方丈、山門などが被害を受けています。宝永4 年(1707)宝永地震では、瀬戸・赤津・下品野で窯が崩れる被害を受けています。嘉永7 年(1854)安政東海・南海地震でも、瀬戸・赤津・下品野は壊滅的な被害があったとされています。明治24 年(1891)濃尾地震では、瀬戸・赤津・品野ほか近傍の窯がことごとく破壊されたほか、建物の倒壊、地割れ、水の噴出、堤防の破壊、池水の氾濫などが発生しています。 - 春日井市の被災状況
春日井市では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、ため池・河川の堤防の決壊、建物の倒壊、泥・土・砂・礫の噴出、地割れが発生しています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震では、民家の壁の崩落、墓石・石灯籠などの倒壊、小学校の玄関の柱の崩落などの被害が発生しています。 - 尾張旭市の被災状況
尾張旭市誌には、明治24 年(1891)濃尾地震の際に建物の全壊・半壊があったこと、矢田川沿岸では地盤の隆起・陥没などが見られたことが記載されています。このほか、維持池、濁池、上池といったため池の堤防が決壊しています。
- 長久手市の被災状況
長久手町史には、明治24年(1891)濃尾地震の際に、建物の倒壊のほか、堤防の破壊、損傷、傾斜したものが多数で惨状を窮めたことが記されています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震、昭和20 年(1945)三河地震では、家屋の倒壊があったとされています。
東郷町の被災状況
東郷町では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、建物の倒壊が多数あったほか、石碑・石灯籠の転倒、ため池の堤防の地割れ、道路の地割れ・陥没が発生しています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震、昭和20 年(1945)三河地震でも、建物の倒壊が発生しています。 - 日進市の被災状況
日進市では、宝永4 年(1707)宝永地震の際に、米野木の三ヶ峯池の堤が崩れ、池の水が溢れて村里に浸水した、とされています。明治24 年(1891)濃尾地震では、建物の倒壊、墓石の転倒、地割れが発生しているほか、新ラ田池が決壊しています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震では、石灯籠の転倒が発生しています。
豊明市の被災状況
豊明市では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、建物の倒壊、地割れ、地下水の噴出が発生し、荒巻池も決壊しています。昭和19年(1944)昭和東南海地震、昭和20 年(1945)三河地震では、建物の倒壊が発生しています。